四球 その遊びのキャリアは、きっと、世界に届く。
僕が泣き虫なんじゃなくてこの四球が素敵なんだと思います。
冷静でクールな野口眞生(環2 川越東)から紹介されました下島正敬(商2 慶應義塾NY学院)です。野口とはポジションが違うため、絡むことが少ないのですが、もっと私生活や練習中などでも絡みを増やしていきたいです!
さて、本日から2日間のブログは慶應義塾NY学院出身の下島が担当します!最後までお付き合いください。
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【下島正敬とは??vol.1】
下島正敬(2年 投手)
生年月日 :1997/11/15生(20歳)
学部:商学部
出身高校:慶應義塾NY学院
①過去
小学2年生の時に野球を始め、地元の野球チームに入りました。その頃は外野手で、試合に出ることは全くありませんでした。しかし、辞めたいという気持ちや野球が嫌だと思ったことは一度もありませんでした。それは単純に野球が好きだったんだと思います。
その思いは中学生になっても変わらず、学校の野球部に入り、徐々に力もつけ、自慢の脚力を活かして不動の1番バッターとして東京都文京区で2位という成績も残しました。
その後、高校は慶應義塾ニューヨーク学院に進み、もちろん野球部に入りました。新しいことにも挑戦してみたく投手と外野手の両方をやることにしました。ニューヨーク校ではシーズン制のため、春のみリーグ戦があり、さらにその順位によって構成されるトーナメント戦があります。ニューヨークにある学校なので、もちろん相手は身体が大きい運動神経抜群の外国人ばかりで、監督やコーチも外国人でした。
高校2年生の時、1つ上の代がニューヨーク校史上最強と言われていて、地区大会の決勝まで進むことが出来ました。その決勝戦は延長14回までもつれ込む接戦でした。14回裏からマウンドに上がった自分は四球やエラーなどで満塁のピンチを招き、最後は押し出しによるサヨナラ負けを喫しました。あの悔しさは今まで忘れたことはありません。先輩たちにも非常に申し訳ない思いでした。人生で一番の悔いといっても過言ではありません。
それから1年後、自分達の代もなんとか決勝まで勝ち上がり、先発投手は自分でした。あの時のリベンジをするため必死に投げ、見事に完封勝利で優勝することができました。あの嬉しさも今まで忘れたことはありません。
それらの悔しさと嬉しさ、そして野球の楽しさを改めて感じた自分は大学でも野球をしたいという思いからこの準硬式野球部に入ることを決めました。
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過去についてはここまでで、明日は現在と今後について書きたいと思います。
お付き合いありがとうございました。
2年 下島正敬
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※ランキング1位に #丸佳浩 が多数登場。52四球、出塁率.490、OPS1.085、wRC+でセリーグトップ。数字の面で…
33登板11勝8敗
防御率4.04
投球回200.2
奪三振171
被安打189
被本塁打27
与四球73
被打率.253
WHIP1.31