消滅が止まらない
(確かに笑いもあったのは事実ですが、涙もありました)
行ったわけですが、
注目されている「終活」をテーマにした展示会です。
樹木葬や、海洋散骨、エンディングドレスなどもあります。
骨の中にある炭素を凝縮し、ダイヤモンドのアクセサリーにし
故人と肌身は出さず一緒にいたい人のために。
なくなった方を直接火葬場へと送るものです。
一般の方々に理解されにくくなっていることや
先祖を大切にすることや墓を守るという意識が薄れていることが
その大きな要因です。
自然との二人三脚で明日の生活もわからないというような時代でした。
もう一度人生と向き合って頑張っていこうと決心し、今日を迎えています。
一般の人たちとの距離を縮めるためにも、この生前葬というものは非常に
意味があると思い、執り行うことにしたという側面もあります。
仏教としてもとても重要なことなのだそうです。
多くの方に生きているうちに感謝をされたい方は、是非この生前葬を
執り行っていただきたいと思います。
消滅についてアメリカ人100人に訊いてみた
今年も届きました。
ロッキーマウンテンとウエアハウスのダブルネーム
王道ダウンベスト
今年はインディゴコットンリップストップで表情豊かな仕上がり
当店では、USED WASHの加工モデルをピックアップ
速報にて
171cm 58kg size:40 着用
ROCKY MOUNTAIN FEATHERBED CO×WAREHOUSE
Lot:290-182-13
Style:INDIGO RIP STOP DOWN VEST
Price:59,500+tax
Color:USED WASH
Size: 40,42
MADE IN JAPAN
ROCKY MOUNTAIN FEATHERBED/ロッキーマウンテンフェザーベッド
1960年代後半、アメリカ屈指のスキーリゾートである、ワイオミング州ジャクソンホールで創業。
カウボーイをターゲットにした良質なダウンウエアブランドで、ネイティブアメリカンの英知が生み出したレザーケープを参考に、継ぎ目の無く贅沢な一枚革を使用したウエスタンヨークが代表的な意匠となっている。
更なる飛躍が期待されたが、1980年代にブランドは消滅。
2005年秋冬待望の復刻をとげる。
WARE HOUSE / ウエアハウス
1995年の創立以来、ファッションという流行に左右される業界に在りながら、決してそれに流されない、「ヴィンテージ古着の忠実な復刻」というテーマを追い続けているブランド。
縁あって出遭った一着のヴィンテージを、それが生産された時代の背景を考察し、糸の一本から生地、縫製、そして洗い加工にいたるまで、徹底的に研究しています。
さらに、ただ復刻するだけではなく、生産された当時の無骨さや、 仕事に従事するためのユニフォームであった匂いなどヴィンテージ古着の風合いを消さないようにサイズアレンジにも取り組んでいる。
撥水加工を施した高品質なヨーロッパ産のホワイトダックダウンを使用しており
この加工により、ダウンの弱点でもある水濡れによる保温力の低下を防ぐ事ができます。
限りなきディティールの追求を掲げるウエアハウスと、伝統ブランドが手を組んだ注目の逸品。
相変わらずかっこ良いですね。
加工入っているので、少しタイトに感じます。
是非店頭にて
またゆっくりご紹介させていただきます。
姫野でした。
SMART CLOTHING STORE
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CAL O LINE 2018AW COLLECTION
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Pherrow’s 2018 AUTUMN & WINTER COLLECTION 公開
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一緒に働いてくれるさせて頂きます!
消滅 勇者よ、目覚めなさい
最近、友人に漫画本を二冊貸してもらって読みました。
タイトルは、
【よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話】
【カルト教を信じてました】
の二冊です。
これらの本は、うちの義理両親がやっている宗教と同じ宗教を信仰する家に生まれた人、
つまり、夫と同じ立場の人が書かれた漫画です。
今回は一冊目、【よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話】を読んだ感想を書かせてください。
私は、この本の作者はうちの夫とよく似ていると思いました。
宗教に疑問を感じ、離れたものの、世の生活の事もしっくりこない。
性的なことに罪悪感を持ち、虚しさを感じている。
だけど、親を恨んだり、宗教を批判したい訳でもない。
ただ、淡々と自身の経験したことで嫌だったこと、感じた事だけを語る。
私は夫と結婚して、ずっと虚しかったことがあります。
夫は、誘えばお祭り、クリスマス、初詣、お盆の実家帰省(お墓参り)、何でもやってくれます。
だけど、そこに感情がないのです。
私が感じるような、ワクワクしたり、新年を感じたり、故人を想ったり、そういう感情を、夫とは同じ感覚で共有することが出来ないのです。
夫は私にただ付き合っているだけで、心は何も感じておらず、むしろ拒絶感を持っている空気を感じることさえあり、
何となく付き合ってもらっても虚しくなるだけなので、私はそれらの事に夫を誘うのをしなくなりました。
だから私達の家庭では、特に宗教の縛りがあるわけじゃないけど、夫が楽しめないから結果的に、
お祭り、クリスマス、初詣、お盆の交流等、宗教を起源とする日本の文化風習的なイベントはほぼ自然消滅してしまっています。
*子供の為に私がひっそりと一人で企画したり、子供を私の実家に連れて行ったりはしてますが、その部分だけはまるで母子家庭みたいです。
(夫は宗教的な問題がないテーマパークとかは楽しめるようなのですが、そうなると、もれなく義理両親がくっついてきます。
それに、テーマパークばかりじゃ流石に飽きちゃうよ…)
私としては子供の頃、
サンタさんを楽しみにしていたり、お年玉貰ったり、墓参りに行って従妹と久々に会って遊んだり、
そういったイベントでとってもワクワクした思い出があるので、
それを夫や子供とともに感情を共有できないのは、
仕方がないとはいえ、やっぱり何となく一抹の淋しさがあります。
夫への虚しさは、性生活でも感じて来ました。
私は夫に積極的に求められたことが殆どありません。
初めはそれが誠実に感じて嬉しかったのですが、だんだん違和感に感じるようになりました。
あまりに清らかすぎるからです。
夫は自身の性的な欲求を汚らわしい感覚で受け止めており、それ故に私とも性的な欲求を見せ合う事を嫌いました。
そういう対象で見るのは相手を汚しているように感じるから、
私を大切に思うからこそ、そういう対象で見たくない、そう言われました。
夫は、特に必要が無い限り、私に近寄りません。
私はそれが淋しくて虚しいので、何度も夫に気持ちを訴えて来ました。
だけど夫はその度に困ったような、嫌がるような表情をして、
私が泣くから…と気を使って近寄って来る、そんなことが繰り返されて、
次第に私はそんな夫を見て傷つくのが怖くなって、夫が自分から私に近寄らない限り、私からは夫に近寄らなくなりました。
なので、私達の関係はレスではないけど、回数が極端に少なく、とても淡々としています。
私はこれについて、その原因を宗教の影響だと言うのは間違っているのかも知れないとは思っています。
一般的に、夫が妻に性的な興味が薄れてしまい、外に女を作るなんてことはたまに耳にする話で、
うちの夫が微かな浮気心がありながらも、それを実行しないのは、
むしろ、宗教の固い貞操観念のおかげだったりするのかも?
そういう気持ちがあるからです。
だから私はこれまで、
嫁姑のトラブルが問題なのかな、とか、
やっぱり他に女性がいるのかなとか、
私の体型が崩れたからなのかなとか、
一人悶々と悩んで、沢山泣いて、
本音を言うと、この淋しさや虚しさは結構、本気で辛くて、
今でも書いていて辛すぎて涙が出てしまったりしてるけど、
嫁姑とか、体型についてとか、自分に改善できることをほぼ改善してみても
それでも夫は何も変わりませんでした。
他に女性がいる気配も特にないし…なので、
もしかしたら、やっぱり宗教の影響が原因なのかなぁ…
と、どうしてもそう思ってしまうのです…。
他にも夫への違和感は、祖父が亡くなった時や、
夫が義理両親から私と子供を守ろうとしてくれない時にも感じました。
夫は人の生死、痛みや悲しみに対して、何となく麻痺しているというか、
その事実を見ないようにしているように感じました。
そういう夫を見ていて私は思いました。
もしかしたら夫は、
親に宗教をさせられていく中で、世間の冷たい視線に真っ向から向き合うように言われ、
逃げることを許されず、守ってももらえず、ただひたすら耐える事だけを学ばされ、
だから、私や子供を親から守る方法が本当に分からないの
なぁ?
自分が子供の頃してきたように、ただ耐えろって言うのかなぁ?
私は主人に対し、上記のような感情を共有できない虚しさや淋しさを抱えて来ました。
今も抱えています。
だけど仮に、
私が夫に感じるこの透明で薄く丈夫な垣根の原因が、宗教の影響であったとしても、
それを夫に訴えたところで、夫にはそれはどうしようもないことです。
その環境のもたらした影響から逃れることが出来ないのは、夫のせいではないのだから。
私は時々、
私達の関係は、一生この垣根越しのままで終わるのかな…
とフッと思ったりします。
そして、
宗教を辞めても、世の人との見えない垣根があるとするのなら、
夫には
気持ちを共有できない世の人育ちの私ではなくて、
同じ元2世の女性の方が良かったんじゃないかなぁ…
と考えてしまいます。
もし夫に宗教的背景が無かったとしたら、夫との間には、この垣根はあったかな?無かったのかな?
きっと、宗教が夫に与えた影響は、良いことも悪いことも沢山あったんだと思う。
でも、そんな夫を心から好きになった自分がいて、
夫とその家族に触れ、傍目には虐待とも映る数々の行為は、あくまで「愛情」から来るものだったという事実を知って、
だから私は、
宗教のこと自体は決して好きにはなれないけど、でも肯定も否定もしたくないな、そう思うのです。
この本の作者、いしいさやさんの勇気に感謝を捧げます。
さやさんは初めから「普通」だと、私は思います。
だって、世の中のみんなも十分変で、
だから、どこかしら人と違うのは普通の事だと思うからです。
はやく垣根が取り払えるといいですね!!!
*・゜゚・*:.。..。.:*・・*:.。. .。.:*・゜゚・**・:.。..。.:*:.。..。.:*・゜゚・*
私もいつか夫と、この垣根が無くなって、感情を共有できるようになれたらいいなぁ。
叶わぬ夢かなぁ。
出会って付き合い始めたばかりの頃は、貴方の持つ背景を知らなかったし理解できていなかったから、
心から交じり合えた錯覚を持てていたのにね。
時々、あまりに貴方に背中を向けられすぎて、
もし、貴方以外の人で、その淋しさや虚しさを共感しあえる人が出てきたら?って考えたりもするけど、
そういった「失われてしまった部分」以外の他の全ての部分で、
貴方ほど心を共有しあえる人はきっといないと思うから、
そういう事を考えてしまった自分が悲しくて胸が張り裂けそうになるから、
だから私はこのパンドラの箱を胸の中にしまって、毎日眠ります。
大切って何だろうね。
愛情って何だろうね。
私は貴方の胸の中で、一度でいいから錯覚じゃなく心から交じり合って眠ってみたいです。
いつか、それが叶いますように。