クリープは都市伝説じゃなかった
私の住んでいるフランスの街に、初雪が降りました。
道行く人の白い息、煙突から出る煙、屋台のクリープの香り、冬の到来です。
街を歩けばクリスマスの装飾だらけ。
それでも私は寒くなると思い出すのはインカレです。
年に一度だけ出場するチアリーディングの大会。
応援団では数え切れないほど思い出がありますが、まず忘れられない1つについてお話しします。
年末の大会に向けて、寒さとともに練習量が増えていく冬。
短いようで長いその期間は、新しいことへのワクワク感だけではなく、本番へのプレッシャー、毎日の練習の疲れ、うまいくかない焦りで時にヘトヘトになってしまうこともあります。
1年前の12月。
そんな日々を乗り越えた先にあったのは、本番前日の大きな怪我、急遽メンバーがかけての大会出場という状況でした。
その時のショックは大きくて、本当に最近になってその時の大会の動画が見られるようになった程です。
どうして神様はこんなに意地悪なんだろう?
その時は悲しさとやり切れなさでいっぱいでした。
もう失うものは何もないと半分やけっぱちで挑んだ予選。でもなぜか進んだ準決勝。
世の中は不思議なことだらけです。
悲しさと悔しさと驚きと涙と嬉しさと…一生分くらいの感情を一気に経験した時でした。
でも今考えるとただの偶然ではなく、みんなの力。あの時に心が折れずに演技ができたのは支えてくれる人がいたから。
気づいたら他チームのメンバーや先輩、沢山の人に応援されていました。
人の言葉はどんな薬よりも元気をくれて、仲間の力は偉大です。
窮地に立ったからこそ、その大切さを再確認させられました。この先ずっと忘れない思い出になると思いますし、そんな経験ができたこと、そんなメンバーに出会えたことに感謝しています。
さて、時が遡ること2015年4月。
最初は応援団に入る可能性は全く考えてなく、違うサークルに心を決めて入学したのになぜかリーダー部吹奏楽部と応援に駆けずり回る日々を送っていました。
覚えているのは、とにかく最初の頃は大変という部分ばかり目に入っていたこと。
“いばらのフランス”とも言われるフランス語学科での学問と毎日ある練習との両立。
さらに私は頑固な性格で、応援団での考えを最初の頃なかなか受け入れることができませんでした。
応援団の特殊なルールは存在意義があるのか。なぜ変えようとしないのか。
先輩に怒られないようにやる機械みたいな応援をされて選手は嬉しいのだろうか。
練習中、意見が無くても無理やり絞り出すように集合ばかりするのはなぜなのか…。
そんなで1年生の頃は、夏合宿前日に同期全員で部活を止めようとしたり、思ったことをすぐに口に出してしまい同期と口論になったり、顔を合わせるたびに友達を心配させていたり…
自分の部活人生、特に前半は失敗ばかりです。
こんな私を変えてくれたのがチアリーディングでした。筋1つ、重心を1センチ意識するだけでがらっと変わるスタンツ。
繊細なのにダイナミック!というこのスポーツにすっかりはまってしまいました。
さらに私はトップというポジションにも性格があっていたのか、周りが気にかけてくれるような失敗に対する不安や恐怖は一度も感じたことはなかったです。
チアの練習の時は、団活動の大変さや学科のテストのことも忘れてしまい、頑張ろうとしなくても楽しいことだから自然に沢山練習したくなる!
天職ならぬ、天部活だと思いました。
自分はチアは好きで応援があまり好きになれないように、反対の考えのチームメイトもいる。それぞれの人の考えも好みも違くて当たり前、それならみんなと考えは合わなくても、行動は合わせよう。
自分が好きな人たちが応援団を好きなら私も同じ行動をする!
こうしていくうちに、大変とばかり思っていた応援団も不思議と大好きになってしまったのです。
そんなこんなで年数を積み、部活がさらに楽しくなり、大切な後輩もできて毎日素敵な仲間に恵まれて…
もう私が望むものはない!今が永遠に続けばいいのに。と思っていた準幹部。
そんな中です。
私が留学の決心をしたのは。
私は2年生の時から、4年目はチームに残らないで留学をするというのはずっと考えていましたが、いざ期間が近づいてくると迷いが生じました。
それほど応援団とeaglesが自分にとってかけがえのない大切なものでした。
沢山悩んで、期限も迫り、最終的にずっと決めていた留学を選びました。
現在渡仏から11ヶ月、
すっかりバケットとbonjourの一言から1日が始まる生活にも慣れ、私がチームを離れてから1年が経ちました。
それでもやっぱり、応援団は私のホームであると感じます。
留学中、思うようにいかず落ち込むことが多々ありました。何もやる気が出ない時や、1人泣きながら帰ったこともあります。
でもそんな時でも、チームラインに送り続けられる部活の動画。
それをやっている仲間は大変でもどんな状況でも目標に向かって努力する人たちで、私はそんな仲間に留学に送り出されたのです。
ゆうゆ先輩がいなくても頑張りますと言ってくれた後輩たちがつくる部活、就活をしながらも遅れを取るまいと頑張る同期。
動画を見るたびに自分頑張らないと、と自然に勇気をもらいました。
今度は私
応援する番。
あと1週間ちょっとの大会は、可愛い後輩たちが考えた演技での、同期の最後の舞台。もう本番の演技を見たら泣いてしまいそうです。
でも安心して演技をしてきてね、絶対パワーを届けます☄️
長くなりましたが、最後になかなかいう機会がないので仲間への感謝の気持ちで終わらせてください。
先輩方
言いたくなくても時に叱って、時に成長のチャンスをくれ、目には見えない経験という形でたくさんのことを教えてくれた先輩方には本当にお世話になりました。謝りたいことも感謝したいことも沢山ありますが、こんな後輩を受け入れてくださりありがとうございました。
吹奏楽部
強く、綺麗に、確実に成長していく吹奏の演奏を聞くのはとっても楽しかったです。
そして唯一の吹奏同期みさとちゃんのトランペットが鳴り響く時、すごく誇らしかった!
またいつかコラボしよう。
リーダー部
優しくて面白くて学年問わず個性強めなリーダー部。なぜか一番覚えてるのは1年夏合宿の食事係。笑
荒鷲での立派な姿、本当に感動した!
’18の後輩
話を聞いていたりで私はなんとなくみんなのこと知っています。上手な代だなぁと思いました。2年生になるともっと楽しくなるから、続けてみてね。
’17の後輩
とにかく可愛くてキラキラした後輩たち。人の話をよく聞いて吸収が早くて、私が教えるより教えられることの方が多かった気がする。この代が準幹だなんて信じられない。
みんならしいステキなチームをつくってね!
’16の後輩
最初は、この代強い!と思っていたけどその裏にある優しさやポジティブさに何度も助けられました。私がここまで楽しくチアをできたのはみんなのおかげ。かけてくれた言葉や思いやりは一生忘れません。
本当に大切な後輩たち。
入ってくれてありがとう。
同期のみんな
私の同期が引退なんて、1年生の頃からは考えられないな。どんどん仲間が辞めてしまって最初いた17人から9人に。自分自身も同期もいつ辞めてしまうか常に不安でした。
個性的で個人主義で思ったことは内に秘めておくような私の同期。それで誤解されたり怒られたりすることも少なくなかったけど、それも含めて全部かいい思い出。
毎日一緒に頑張った時間は人生の宝物です。
みんな、笑って引退してね。
家族、友達、OGの先輩、チームメイト。
周りのサポートがないとやっていけないのが応援団です。
その全ての人達と離れてみるといかにその存在が大切だったか、強く感じます。
応援団が教えてくれたこと。
人を応援すること。応援されること。
とりあえず頑張って続けてみること。
周りを大切にすること。
信じること。
このことを忘れず、これからも自分の道を進んでいきたいと思います。
最後までご覧くださりありがとうございました。
Cheerleading est toujours ma source de bonheur💓
チアリーディング部4年 岡嶋ゆりか
クリープフェチが泣いて喜ぶ画像10個
一日開くかも知れない、と言いながらついつい、いつもの調子で何日も遅れて記事をアップしています。
GPFに出かける前に色んな仕事を片付けておこうと思い、ちょっとオーバーロードしてしまいました。えらいこっちゃ。でも頑張る。
さて、気を取り直して
ひとつ前の記事へのコメント、ありがとうございます。
選手が長年慣れ親しんだコーチから離れて練習拠点を移す、ということには確かに色々なパターンがあり得ます。単に練習環境を替えたかったのか、新しい指導法を試してみたかったのか、テクニカルな面を見直して滑りを一新したかったのか、これら複数の要因が絡み合っている場合もあるでしょう。また、その選手がキャリアのどの局面で変化を求めるのか、によっても違いがあります。伸び盛りの時なのか、伸び悩みの時なのか、などなど。
そこに「国境を越えて」の移動となると、さらにプロセスは複雑になってきます。私はもともと、国際移動が子供の成長に及ぼす影響というものが研究テーマの一つだったので、過去にこんな記事も書いてました:
2017年の四大陸選手権に出場した羽生結弦選手に関連付けて書いた記事ですが、ちょっと懐かしく読み返しました。あれから1年半以上経った今、羽生選手にとってカナダに渡ったことの意味を再度考えたり、つくづく、現時点でのフィギュアスケート界における「ユヅル・ハニュウ」の存在の大きさを実感したりしています。
あと数日で私はバンクーバーへと飛びますが、きっとGPFの会場現地に到着すれば(本来ならいるはずの)羽生選手がいないことに対して一抹の寂しさを覚えるに違いありません。
いえ、彼が欠場したことはもちろん、正しい判断だと思っていますよ。休んでくれてホッとしているのも確かです。
でもでも、羽生選手が出るのと出ないのとでは、大会の雰囲気が全く変わってしまうのです。特にここ二年ほどはそれが顕著で、羽生選手目当てのファンが多く詰めかけて来ているからだとか、セキュリティが必要だからだとかいうのではなく、メディア関係者も、大会主催者も、そしてもちろん選手たちも彼の一挙手一投足に注目して、彼と一緒の試合に参加できることの興奮を味わっている。そんなワクワク感と良い意味での緊張感が漲っているからなのです。
前にも言ったと思うのですが、これは別段、羽生選手以外の選手へのディスリスペクトでも何でもなく、単なる事実を述べているだけ。
「ユヅルのいない大会は、クリープを入れないコーヒーのようだ」
という表現を日本以外の人々は使ってないかも知れませんが、思いは皆同じ。(日本でも使ってないか)
元から出ないはずの大会ではなく、出るはずなのに欠場してしまった大会ならなおさらです。
(そう言えばどっかでこの画像、使ったなあと思ったら、
昨年のGPFの時でした。。。)
ちなみにGPFの主催者であるカナダ連盟が、羽生選手の欠場によってようやくカナダ人選手が一人(=キーガン・メッシング)、参加できるようになってホッとしているだろう、というコメントがどこかに載っていましたが、それは「違う」と私は言っておきます。これまで何度もカナダ連盟が主催した試合(オータムクラシック4回、スケートカナダ3回)に羽生選手が出てくれて、どれだけ各部署のスタッフたちが「YUZURU」に感謝し、彼が会場に到着すると皆がテキパキと働き出し、どれだけ彼を大切に扱っているかを知っているだけに、そんな短絡的な考えを押し付けてほしくない、と思うわけです。
ほんと、そこんとこよろしくご理解ください。
ここからちょっと話が飛びますが、平昌オリンピックで羽生選手が二連覇を達成した際に、ジャッキー・ウオンさんが書いた記事:
を読まれた方は多いかと思います。(確か翻訳も出ていたようが気がします)
なぜ羽入結弦が “Greatest Of All Time” であるのかについて、ジャッキーさんが挙げている点は私も全く同感です。つまり2012‐2013年のシーズンのSP世界記録更新から始まって、ソチ五輪以降の圧倒的な強さ、数々の主要タイトルや度重なる世界記録の更新、四回転時代に入ってからの熾烈な男子フィギュア競技において最大の舞台で頂点に立つべき時に立ったこと、そして負傷を乗り越えての五輪二連覇。
成績だけを見てもこれほど長い間、これほどコンスタントにトップレベルを維持したことは驚異的だとジャッキーさんは言います。
しかし私は、羽生選手がGOATと呼ばれるに値する根拠として、上記の戦績や記録だけではなく、1)フィギュアスケート競技の目指すべき方向性と、2)純粋にいちアスリートとしても見習うべき姿勢を示した点も含めるべきだと思うのです。
クリケット・クラブで理想とされる「トータル・パッケージ」のスケートとは、高難度ジャンプはもちろんのこと、全てのエレメンツを高いレベルで揃え、つなぎの部分もおろそかにせず、振り付けと音楽を融合させるものだと私は理解しています。シニア男子ではこれを全うしたのが羽生結弦とハビエル・フェルナンデスの二人で、2014年から2017年までの間、常にどちらかが世界タイトルを獲得し、2018年には羽生選手が五輪を制していることからも「トータル・パッケージ」の威力が伺えます。(ジャンプがなくてもダメだけど、ジャンプだけでも僕らには勝てないよ、と。)
羽生選手が凄いのは、新しいジャッジング・システムの下でも全くひるむことなく、「ノーーー・プロブレーーム!」とでも言うかのように新しいコンビネーションに挑んだり、二回転ジャンプを外すような構成を組んだりしているところ。そしてその結果、一人だけSP100点越え
二度も果たして見せ、「トータル・パッケージ」は依然として有効なのだ、と示したところ。
今年の夏の終わりにクリケット・クラブで公開練習が行われた時、コーチたちは口をそろえて「ユヅにとって、+-5GOEの新しいジャッジング体制は有利に働くはず」と言いました。「そりゃあ自分とこのスケーターなんだから、それくらいは言うだろう」と思った人もいたかも知れませんが、単なるリップサービスではないことがGPヘルシンキとGPロステレコム杯であっさりと証明されました。
そうやって常に天井に向かって挑戦し、届き、突き破り、新しい天井を作ってしまう。真のアスリートの姿、その競技におけるリーダーのあるべき姿です。
羽生選手がスケート界に若手のホープとして登場した時に、何かすごい事をやってくれそうだ、という期待を抱かせてくれましたが、ソチ五輪の後も、次の五輪までの四年間も、そして平昌五輪の後までも先頭に立って、男子スケート界全体を鼓舞して来た功績はあまりにも大きい。
え、まだこの先があるの?じゃあ行ってみてよ。
あ、行っちゃった。
え、まだこれ以上やるの?じゃあやってみてよ。
あ、やっちゃった。
羽生選手をフォローしているファンは毎シーズン、くる年もくる年も、エンドレスにそう言い続けて来ました。
彼が競技に取り組む様はあくまで「RELENTLESS」(絶え間なく)、怪我や病気にもくじけることなく、淡々と、しかし熱く突き進んでいくから、我々はそんな彼をずっと見守って付いて行くのです。
そしてそんな我々を、羽生選手は置いてきぼりにするのではなく、いつも一緒に連れて行ってくれようとする。そこも彼を際立たさせている点だと思います。
2014‐2015年シーズンに」じゃないですが、もう少し高く、もう少し遠く、と昇って行くのはそこから見た景色が美しいから。でもそれを独り占めするのではなく、他の選手にも、我々ファンにも、「ほら、こんなに綺麗だよ、みんな、見に来てごらん」と誘ってくれる。
(そういえば昨年のオータムクラシックでライストを解説していたケベックのコーチ、「彼は(観ている者を)一緒に連れて行ってくれる」と。)
彼が決して豊かではない体力を使い果たして、強靭ではない身体を痛めつけていることを知りながら、もう少しだけ長く、綺麗な景色を見せてほしいと我々が願うのは欲深いことであるに違いありません。
でもやっぱり、あと少し、あとほんの少し、と思ってしまうのです。
(2020年のワールドはモントリオール開催でっせ)
クリープの本質はその自由性にある
私の住んでいるフランスの街に、初雪が降りました。
道行く人の白い息、煙突から出る煙、屋台のクリープの香り、冬の到来です。
街を歩けばクリスマスの装飾だらけ。
それでも私は寒くなると思い出すのはインカレです。
年に一度だけ出場するチアリーディングの大会。
応援団では数え切れないほど思い出がありますが、まず忘れられない1つについてお話しします。
年末の大会に向けて、寒さとともに練習量が増えていく冬。
短いようで長いその期間は、新しいことへのワクワク感だけではなく、本番へのプレッシャー、毎日の練習の疲れ、うまいくかない焦りで時にヘトヘトになってしまうこともあります。
1年前の12月。
そんな日々を乗り越えた先にあったのは、本番前日の大きな怪我、急遽メンバーがかけての大会出場という状況でした。
その時のショックは大きくて、本当に最近になってその時の大会の動画が見られるようになった程です。
どうして神様はこんなに意地悪なんだろう?
その時は悲しさとやり切れなさでいっぱいでした。
もう失うものは何もないと半分やけっぱちで挑んだ予選。でもなぜか進んだ準決勝。
世の中は不思議なことだらけです。
悲しさと悔しさと驚きと涙と嬉しさと…一生分くらいの感情を一気に経験した時でした。
でも今考えるとただの偶然ではなく、みんなの力。あの時に心が折れずに演技ができたのは支えてくれる人がいたから。
気づいたら他チームのメンバーや先輩、沢山の人に応援されていました。
人の言葉はどんな薬よりも元気をくれて、仲間の力は偉大です。
窮地に立ったからこそ、その大切さを再確認させられました。この先ずっと忘れない思い出になると思いますし、そんな経験ができたこと、そんなメンバーに出会えたことに感謝しています。
さて、時が遡ること2015年4月。
最初は応援団に入る可能性は全く考えてなく、違うサークルに心を決めて入学したのになぜかリーダー部吹奏楽部と応援に駆けずり回る日々を送っていました。
覚えているのは、とにかく最初の頃は大変という部分ばかり目に入っていたこと。
“いばらのフランス”とも言われるフランス語学科での学問と毎日ある練習との両立。
さらに私は頑固な性格で、応援団での考えを最初の頃なかなか受け入れることができませんでした。
応援団の特殊なルールは存在意義があるのか。なぜ変えようとしないのか。
先輩に怒られないようにやる機械みたいな応援をされて選手は嬉しいのだろうか。
練習中、意見が無くても無理やり絞り出すように集合ばかりするのはなぜなのか…。
そんなで1年生の頃は、夏合宿前日に同期全員で部活を止めようとしたり、思ったことをすぐに口に出してしまい同期と口論になったり、顔を合わせるたびに友達を心配させていたり…
自分の部活人生、特に前半は失敗ばかりです。
こんな私を変えてくれたのがチアリーディングでした。筋1つ、重心を1センチ意識するだけでがらっと変わるスタンツ。
繊細なのにダイナミック!というこのスポーツにすっかりはまってしまいました。
さらに私はトップというポジションにも性格があっていたのか、周りが気にかけてくれるような失敗に対する不安や恐怖は一度も感じたことはなかったです。
チアの練習の時は、団活動の大変さや学科のテストのことも忘れてしまい、頑張ろうとしなくても楽しいことだから自然に沢山練習したくなる!
天職ならぬ、天部活だと思いました。
自分はチアは好きで応援があまり好きになれないように、反対の考えのチームメイトもいる。それぞれの人の考えも好みも違くて当たり前、それならみんなと考えは合わなくても、行動は合わせよう。
自分が好きな人たちが応援団を好きなら私も同じ行動をする!
こうしていくうちに、大変とばかり思っていた応援団も不思議と大好きになってしまったのです。
そんなこんなで年数を積み、部活がさらに楽しくなり、大切な後輩もできて毎日素敵な仲間に恵まれて…
もう私が望むものはない!今が永遠に続けばいいのに。と思っていた準幹部。
そんな中です。
私が留学の決心をしたのは。
私は2年生の時から、4年目はチームに残らないで留学をするというのはずっと考えていましたが、いざ期間が近づいてくると迷いが生じました。
それほど応援団とeaglesが自分にとってかけがえのない大切なものでした。
沢山悩んで、期限も迫り、最終的にずっと決めていた留学を選びました。
現在渡仏から11ヶ月、
すっかりバケットとbonjourの一言から1日が始まる生活にも慣れ、私がチームを離れてから1年が経ちました。
それでもやっぱり、応援団は私のホームであると感じます。
留学中、思うようにいかず落ち込むことが多々ありました。何もやる気が出ない時や、1人泣きながら帰ったこともあります。
でもそんな時でも、チームラインに送り続けられる部活の動画。
それをやっている仲間は大変でもどんな状況でも目標に向かって努力する人たちで、私はそんな仲間に留学に送り出されたのです。
ゆうゆ先輩がいなくても頑張りますと言ってくれた後輩たちがつくる部活、就活をしながらも遅れを取るまいと頑張る同期。
動画を見るたびに自分頑張らないと、と自然に勇気をもらいました。
今度は私
応援する番。
あと1週間ちょっとの大会は、可愛い後輩たちが考えた演技での、同期の最後の舞台。もう本番の演技を見たら泣いてしまいそうです。
でも安心して演技をしてきてね、絶対パワーを届けます☄️
長くなりましたが、最後になかなかいう機会がないので仲間への感謝の気持ちで終わらせてください。
先輩方
言いたくなくても時に叱って、時に成長のチャンスをくれ、目には見えない経験という形でたくさんのことを教えてくれた先輩方には本当にお世話になりました。謝りたいことも感謝したいことも沢山ありますが、こんな後輩を受け入れてくださりありがとうございました。
吹奏楽部
強く、綺麗に、確実に成長していく吹奏の演奏を聞くのはとっても楽しかったです。
そして唯一の吹奏同期みさとちゃんのトランペットが鳴り響く時、すごく誇らしかった!
またいつかコラボしよう。
リーダー部
優しくて面白くて学年問わず個性強めなリーダー部。なぜか一番覚えてるのは1年夏合宿の食事係。笑
荒鷲での立派な姿、本当に感動した!
’18の後輩
話を聞いていたりで私はなんとなくみんなのこと知っています。上手な代だなぁと思いました。2年生になるともっと楽しくなるから、続けてみてね。
’17の後輩
とにかく可愛くてキラキラした後輩たち。人の話をよく聞いて吸収が早くて、私が教えるより教えられることの方が多かった気がする。この代が準幹だなんて信じられない。
みんならしいステキなチームをつくってね!
’16の後輩
最初は、この代強い!と思っていたけどその裏にある優しさやポジティブさに何度も助けられました。私がここまで楽しくチアをできたのはみんなのおかげ。かけてくれた言葉や思いやりは一生忘れません。
本当に大切な後輩たち。
入ってくれてありがとう。
同期のみんな
私の同期が引退なんて、1年生の頃からは考えられないな。どんどん仲間が辞めてしまって最初いた17人から9人に。自分自身も同期もいつ辞めてしまうか常に不安でした。
個性的で個人主義で思ったことは内に秘めておくような私の同期。それで誤解されたり怒られたりすることも少なくなかったけど、それも含めて全部かいい思い出。
毎日一緒に頑張った時間は人生の宝物です。
みんな、笑って引退してね。
家族、友達、OGの先輩、チームメイト。
周りのサポートがないとやっていけないのが応援団です。
その全ての人達と離れてみるといかにその存在が大切だったか、強く感じます。
応援団が教えてくれたこと。
人を応援すること。応援されること。
とりあえず頑張って続けてみること。
周りを大切にすること。
信じること。
このことを忘れず、これからも自分の道を進んでいきたいと思います。
最後までご覧くださりありがとうございました。
Cheerleading est toujours ma source de bonheur💓
チアリーディング部4年 岡嶋ゆりか
クリープの役立つ通販サイト、完売続出です、売りきれ前にどうぞ
沖縄の旅で
大阪のあかねちゃんから
筋膜を捉えるやり方を教わって、
それが楽しくて楽しくて!!!!!
これを皮膚の上から触ってとらえて、
動かしていくのが筋膜リリースらしい。
忘れないうちに死ぬほど練習したら、、、
もっと深くにある層を捉えられるよーになって、
こりゃなんだ???
と思って探っていくと、
みるみるカラダの緊張が奥から解けていく事がわかった!!!!!
わたし的に筋膜より早くほぐれるイメージ。
ズボラな私にとって、早く変わるのは大歓迎!w
見てみて!
↓これ、右の首だけその膜を動かしたの!!
その層を触ると、
手の中で固まってたラードが溶けていく感覚が
あるんだけど、それが溶けるとズリズリ奥から動くの。
そこに緊張はなくなっていくから
動かそうとしなくても骨が勝手に動いて
中の循環がすぐに良くなって、
ふっかふかのつるつるすべすべの筋肉と肌になるんだよね。
顔小さくなってるでしょー?!?!
お肌もツヤツヤー!
amical®︎ トレーナーの身体に超詳しい
櫻井エミちゃん曰く、
私が触ってるのは、骨と筋肉の間で、
※筋膜は皮膚と筋肉の間。
そこには油みたいな老廃物の塊みたいなものが
こべりついてるらしい。
→「こうけつ」っていうらしい。
その老廃物を溶かして、散らして、
流れに乗せて流していくという施術があるらしいよ!!!
それをやってるんだって( ⊙‿⊙)w
自分じゃ何をやってるのか
サッパリ分からないから
こうやって教えてくれる人が周りにいる事の
有難さよ。
いつも、亜美ちゃんはここを触ってこーしてるんだよ!って教わる。w
でね、これが面白すぎてやりまくったら
超顔小さくなって来たwww
まだ「こうけつ」を触る前の顔@沖縄↓
フェイスラインが全然違う!!!
首もスッキリ!!!
びっくり。。。
という事で、この技術を今トレーナー達に
教え込んでおります!!!!!!!!w
といってもすぐ出来る事ではないw
他でやってる人見た事ないし!!!!
結構な技術がいるぽいけど、
amicalトレーナーならできるでしょ!とww
無茶振りw
これ、わたし的には
マジでアトピーの人にやってあげたい。
わたしの首のずーっと治らなかった湿疹が
綺麗さっぱり治ったのよ!
皮膚のモーット奥を触るから、
皮膚への刺激は一切ない!!!!!
あかねちゃんのベーシック講座で、
アトピーの方がいたから、
どーしてもやらせて欲しくてやってみたら
お肌ピッカピカのしっとりになってて!
絶対これは、アトピーの人にいいと思った。
異常なほどのコリの人にもいい!!!!!
シワにもいい!!!!!!
ダイエットにもそりゃーいいに決まってる!
身体の機能が本当に整う!!!
これは、意識とか見えない方の体ではなくて
ちゃんと触れる物質でね。
見える世界、見えない世界
どちらも大切な私にとっては
今までは見えない側を沢山触ってたから
今度は見える側の意識を深めて
バランスをうまくとってる感じで好き♡w
私の個人セッションのお客さんには、
必要な所を勝手にやるので、
よろしくお願いします〜w
これもっとみんなに伝えたいけど、
カラダが一つしかないのが惜しいーーー(;д;)
頑張ってトレーナー育てるから、
待ってておくれよーみんなー!
さぁ、今回のクリープハイプ 特集は…
【He is mine】
セフレの歌です。
愛してないわけ…ないけどさぁぁぁーー。
愛してないわけ…ないけどさぁぁぁーーー!
という、どーしよーもない、なんとも言えない、
div>
あの言葉にできない感じの曲。
ライブでは一番盛り上がります。
【She is fine】
he is mineのアンサーソング的な。
すげーエロくて何処でもやりたがる不謹慎なセフレに翻弄される男の歌。
愛でも、恋でもないのに、、、といいつつも
でも実は彼女のことが好きで、
彼女の恋を応援してるセフレの歌。
怪奇!クリープ男
一日開くかも知れない、と言いながらついつい、いつもの調子で何日も遅れて記事をアップしています。
GPFに出かける前に色んな仕事を片付けておこうと思い、ちょっとオーバーロードしてしまいました。えらいこっちゃ。でも頑張る。
さて、気を取り直して
ひとつ前の記事へのコメント、ありがとうございます。
選手が長年慣れ親しんだコーチから離れて練習拠点を移す、ということには確かに色々なパターンがあり得ます。単に練習環境を替えたかったのか、新しい指導法を試してみたかったのか、テクニカルな面を見直して滑りを一新したかったのか、これら複数の要因が絡み合っている場合もあるでしょう。また、その選手がキャリアのどの局面で変化を求めるのか、によっても違いがあります。伸び盛りの時なのか、伸び悩みの時なのか、などなど。
そこに「国境を越えて」の移動となると、さらにプロセスは複雑になってきます。私はもともと、国際移動が子供の成長に及ぼす影響というものが研究テーマの一つだったので、過去にこんな記事も書いてました:
2017年の四大陸選手権に出場した羽生結弦選手に関連付けて書いた記事ですが、ちょっと懐かしく読み返しました。あれから1年半以上経った今、羽生選手にとってカナダに渡ったことの意味を再度考えたり、つくづく、現時点でのフィギュアスケート界における「ユヅル・ハニュウ」の存在の大きさを実感したりしています。
あと数日で私はバンクーバーへと飛びますが、きっとGPFの会場現地に到着すれば(本来ならいるはずの)羽生選手がいないことに対して一抹の寂しさを覚えるに違いありません。
いえ、彼が欠場したことはもちろん、正しい判断だと思っていますよ。休んでくれてホッとしているのも確かです。
でもでも、羽生選手が出るのと出ないのとでは、大会の雰囲気が全く変わってしまうのです。特にここ二年ほどはそれが顕著で、羽生選手目当てのファンが多く詰めかけて来ているからだとか、セキュリティが必要だからだとかいうのではなく、メディア関係者も、大会主催者も、そしてもちろん選手たちも彼の一挙手一投足に注目して、彼と一緒の試合に参加できることの興奮を味わっている。そんなワクワク感と良い意味での緊張感が漲っているからなのです。
前にも言ったと思うのですが、これは別段、羽生選手以外の選手へのディスリスペクトでも何でもなく、単なる事実を述べているだけ。
「ユヅルのいない大会は、クリープを入れないコーヒーのようだ」
という表現を日本以外の人々は使ってないかも知れませんが、思いは皆同じ。(日本でも使ってないか)
元から出ないはずの大会ではなく、出るはずなのに欠場してしまった大会ならなおさらです。
(そう言えばどっかでこの画像、使ったなあと思ったら、
昨年のGPFの時でした。。。)
ちなみにGPFの主催者であるカナダ連盟が、羽生選手の欠場によってようやくカナダ人選手が一人(=キーガン・メッシング)、参加できるようになってホッとしているだろう、というコメントがどこかに載っていましたが、それは「違う」と私は言っておきます。これまで何度もカナダ連盟が主催した試合(オータムクラシック4回、スケートカナダ3回)に羽生選手が出てくれて、どれだけ各部署のスタッフたちが「YUZURU」に感謝し、彼が会場に到着すると皆がテキパキと働き出し、どれだけ彼を大切に扱っているかを知っているだけに、そんな短絡的な考えを押し付けてほしくない、と思うわけです。
ほんと、そこんとこよろしくご理解ください。
ここからちょっと話が飛びますが、平昌オリンピックで羽生選手が二連覇を達成した際に、ジャッキー・ウオンさんが書いた記事:
を読まれた方は多いかと思います。(確か翻訳も出ていたようが気がします)
なぜ羽入結弦が “Greatest Of All Time” であるのかについて、ジャッキーさんが挙げている点は私も全く同感です。つまり2012‐2013年のシーズンのSP世界記録更新から始まって、ソチ五輪以降の圧倒的な強さ、数々の主要タイトルや度重なる世界記録の更新、四回転時代に入ってからの熾烈な男子フィギュア競技において最大の舞台で頂点に立つべき時に立ったこと、そして負傷を乗り越えての五輪二連覇。
成績だけを見てもこれほど長い間、これほどコンスタントにトップレベルを維持したことは驚異的だとジャッキーさんは言います。
しかし私は、羽生選手がGOATと呼ばれるに値する根拠として、上記の戦績や記録だけではなく、1)フィギュアスケート競技の目指すべき方向性と、2)純粋にいちアスリートとしても見習うべき姿勢を示した点も含めるべきだと思うのです。
クリケット・クラブで理想とされる「トータル・パッケージ」のスケートとは、高難度ジャンプはもちろんのこと、全てのエレメンツを高いレベルで揃え、つなぎの部分もおろそかにせず、振り付けと音楽を融合させるものだと私は理解しています。シニア男子ではこれを全うしたのが羽生結弦とハビエル・フェルナンデスの二人で、2014年から2017年までの間、常にどちらかが世界タイトルを獲得し、2018年には羽生選手が五輪を制していることからも「トータル・パッケージ」の威力が伺えます。(ジャンプがなくてもダメだけど、ジャンプだけでも僕らには勝てないよ、と。)
羽生選手が凄いのは、新しいジャッジング・システムの下でも全くひるむことなく、「ノーーー・プロブレーーム!」とでも言うかのように新しいコンビネーションに挑んだり、二回転ジャンプを外すような構成を組んだりしているところ。そしてその結果、一人だけSP100点越え
二度も果たして見せ、「トータル・パッケージ」は依然として有効なのだ、と示したところ。
今年の夏の終わりにクリケット・クラブで公開練習が行われた時、コーチたちは口をそろえて「ユヅにとって、+-5GOEの新しいジャッジング体制は有利に働くはず」と言いました。「そりゃあ自分とこのスケーターなんだから、それくらいは言うだろう」と思った人もいたかも知れませんが、単なるリップサービスではないことがGPヘルシンキとGPロステレコム杯であっさりと証明されました。
そうやって常に天井に向かって挑戦し、届き、突き破り、新しい天井を作ってしまう。真のアスリートの姿、その競技におけるリーダーのあるべき姿です。
羽生選手がスケート界に若手のホープとして登場した時に、何かすごい事をやってくれそうだ、という期待を抱かせてくれましたが、ソチ五輪の後も、次の五輪までの四年間も、そして平昌五輪の後までも先頭に立って、男子スケート界全体を鼓舞して来た功績はあまりにも大きい。
え、まだこの先があるの?じゃあ行ってみてよ。
あ、行っちゃった。
え、まだこれ以上やるの?じゃあやってみてよ。
あ、やっちゃった。
羽生選手をフォローしているファンは毎シーズン、くる年もくる年も、エンドレスにそう言い続けて来ました。
彼が競技に取り組む様はあくまで「RELENTLESS」(絶え間なく)、怪我や病気にもくじけることなく、淡々と、しかし熱く突き進んでいくから、我々はそんな彼をずっと見守って付いて行くのです。
そしてそんな我々を、羽生選手は置いてきぼりにするのではなく、いつも一緒に連れて行ってくれようとする。そこも彼を際立たさせている点だと思います。
2014‐2015年シーズンに」じゃないですが、もう少し高く、もう少し遠く、と昇って行くのはそこから見た景色が美しいから。でもそれを独り占めするのではなく、他の選手にも、我々ファンにも、「ほら、こんなに綺麗だよ、みんな、見に来てごらん」と誘ってくれる。
(そういえば昨年のオータムクラシックでライストを解説していたケベックのコーチ、「彼は(観ている者を)一緒に連れて行ってくれる」と。)
彼が決して豊かではない体力を使い果たして、強靭ではない身体を痛めつけていることを知りながら、もう少しだけ長く、綺麗な景色を見せてほしいと我々が願うのは欲深いことであるに違いありません。
でもやっぱり、あと少し、あとほんの少し、と思ってしまうのです。
(2020年のワールドはモントリオール開催でっせ)