ヴァルを語れる上司より、スポーツを語れる上司の方が、取引先に食い込んでいる。
紀元前14世紀頃のミタンニ・ヒッタイト条約文にあげられた神の名に、ヴァルナとミトラがある。
ミタンニはフルリ人が紀元前16世紀頃メソポタミア北部のハブル川上流域に建国した王国であり、ヒッタイトは紀元前15世紀頃アナトリア半島にヒッタイト人によって築かれた王国である。
この条約文に記されたヴァルナとミトラは共に古代インドの最高神であり、太古のアスラ族、アーディティヤ神群を代表した神々である。
ヴァルナは「水」との関連性が深く、仏教に採り入れられた際には水神としての属性が残り、西方を守護する水天となった。
ミトラは太陽戦車に乗って天空を駆けるので、光明神としての性格が強調され、「太陽」と同一視された。
ヴァルナ神よりさらに広範囲で信仰され、ミトラ神は仏教において弥勒菩薩として採り入れられた。
さて、アーディティヤ神群としてのヴァルナ神とミトラ神は、表裏一体を成すとされる。
この場合、ミトラが契約を祝福し、ヴァルナが契約の履行を監視し、契約に背いたものには罰を与えるという。
本来、人は人に罰を与えることは出来ない。
まして、復讐などはもってのほか。
では、誰が裁くのか。
『聖書』の「ローマ人への手紙」12章19節には次のように記されている。
~愛する人たち。
自分で復讐してはいけません。
神の怒りに任せなさい。
それは、こう書いてあるからです。
「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」、と主は言われる~
つまり、キリスト教に限らず、どの宗教でも復讐するのは神の仕事なのである。
ミトラが太陽=火=「か」、ヴァルナが水=「み」なのである。
それぞれの属性を考えれば、表裏一体のミトラとヴァルナは正しく「かみ(神)」ということなのだ。
インド神話に登場する聖仙アガスティア。
北斗七星と同一視されている七聖賢(サプタルシ)には含まれないが、リシ(賢者、仙人)として有名である。
リシとは一般には温厚であるが、一度怒りを発すると手がつけられなくなり、苦行力(超能力)によって、条件付きの「死の宣告」をしたり、雨を降らせないなどの災いを引き起こしたりするという。
アガスティアは上記のヴァルナ神とミトラ神がアプサラスのウルヴァシーに見とれ、精をもらした水がめの中から生まれたと伝えられている。
アプサラスはインド神話における水の精で、その名は「水の中で動くもの、雲の海に生きるもの」の意で、天女と称されている。
リシであるアガスティアは、ヴァルナ神とミトラ神の子どもとされることから伝説(架空)の人と思われがちだが、紀元前3000年頃に実在したとされている。
その証の一つが、アガスティアが残したとされる個人の運命に対する予言が書かれている葉、「アガスティアの葉」である。
古代タミル語で記されており、ナディ・リーダーと呼ばれる人たちが現代タミル語に翻訳してくれる。
1994年に、作家でありインド医学研究者の青山圭秀(1959年2月12日ー)によって、「アガスティアの葉」は日本に紹介された。
「アガスティアの葉」を探しに行く人は、一度だけに限らず、リピーターになることが多いようだ。
何と4回も南インドまで足を運ぶ強者もいる。
では、何故それほどまで「アガスティアの葉」に魅かれるのか。
4回訪ねた人によると、その都度その人自身の運命が変化しているからなのだそうだ。
もっと正確に言えば、数年後の予測が、どんどん明瞭化されていたと語っていた。
予想だにしなかった未来も、時が経ち、必要性に駆られ、いつの間にか「アガスティアの葉」の通りになっていく。
特筆すべきは、「アガスティアの葉」にはその人の両親の名前が記されているということだ。
異国の人の口から、いきなり両親の名前を読み上げられると、疑惑の念が一瞬に吹き飛ぶそうだ。
読む人も異なり、場所も異なるのに、「アガスティアの葉」には正確にその都度両親の名前が記されている。
けれど無情にも、死の予測も記されているという。
但し、カルマ解消の儀式も記されている場合があり、所定の手続きで半年毎朝祈りを捧げ、延命することも出来るようだ。
最新の「アガスティアの葉」には、祈りが聞き届けられ、命が伸び、長命の星回りになったと書かれていたのだそうだ。
つい最近(現地時間2019年1月23日)、マイケル・ジャクソンの半生を描いたミュージカルの上演日が決定されたとの公式発表があった。
現在制作中なのだそうだが、タイトルは前回の当ブログ記事に張り付けた動画“Don’t Stop ‘Til You Get Enough”である。
(いつもながら、ナイスフォローをありがとう。マイケル!)
2019年10月29日から12月1日まで米シカゴのジェームス・M・ネダーランダー・シアターでプレミア上演され、その後2020年にブロードウェー・デビューを果たすそうだ。
大変僭越ではあるが、魔法のようなマイケル・ジャクソンの人生を私が考えるとき、どうしても取り除きたい病や事故がある。
それは、持病である尋常性白斑と鼻の骨折、そしてペプシのコマーシャル撮影時の頭部の火傷である。
きっと「アガスティアの葉」には、それらの記載がなされていたのだろう。
時間を逆戻りするわけにはいかないが、それでも取り消す方法がなかったのだろうかと、考えずにはいられない。
取り消せないのは分かっているが、私の「アガスティアの葉」に、マイケルの不運のもとになった尋常性白斑と鼻の骨折と頭部の火傷をうつせないだろうかと、今でも時折願ってしまう。
何故なら、私だったら一般人なので、痛みは一緒でも、マイケルほど悩むことは確実に少なかったと思うからだ。
とりとめもないことなのだが、何度も繰り返し、真剣に考えてしまう。
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「そんなこと、僕は君に望んでいないよ。もっと、僕を愛して。けれど、どうか愛し過ぎないで」
優しくて甘いマイケルの声が、今日もどこからともなく聞こえてきた……。
Thank you for the upload.
※Rock With You 、 Off The Wall 、Don’t Stop ‘Til You Get Enough のメドレーです! パフォーマンスをしながら、いろいろスタッフに指示も出す、超セクシーなマイケルを。
ヴァルはなぜ流行るのか
フランスを代表する、そして世界的な、映画音楽の名作曲家、ミシェル・ルグランさんが亡くなりました。
ゴダールの『女と男のいる舗道』や『女は女である』、ジャック・ドゥミの『シェルブールの雨傘』、アメリカ映画の『華麗なる賭け』、007映画の『ネバーセイ・ネバーアゲイン』といった名作を飾った名曲たちがいま、あたまのなかに次々と浮かんでは、ぐるぐると駆けめぐっています。
去年復刻上映されたときに鑑賞した映画『5時から7時までのクレオ』(アニエス・ヴァルダ監督)のなかで、音楽を担当したそのミシェル・ルグランさんがピアニスト役で登場して、その洒脱ぶりに、“ああ、ミシェル・ルグランって、粋な人なんだな!”と感じ入ったことが、しみじみ思い出されます。
ミシェル・ルグランさんのご冥福を謹んでお祈り申しあげます。
映画『5時から7時までのクレオ』(アニエス・ヴァルダ監督) 予告篇
ミシェル・ルグラン 出演 (ピアニスト役) シーン
映画『女と男のいる舗道』(J=L・ゴダール監督)予告篇
映画『シェルブールの雨傘』(ジャック・ドゥミ監督)予告篇
映画監督・旦(だん)雄二のブログ
ヴァルさまざまな種類と豊富なラインアップ
紀元前14世紀頃のミタンニ・ヒッタイト条約文にあげられた神の名に、ヴァルナとミトラがある。
ミタンニはフルリ人が紀元前16世紀頃メソポタミア北部のハブル川上流域に建国した王国であり、ヒッタイトは紀元前15世紀頃アナトリア半島にヒッタイト人によって築かれた王国である。
この条約文に記されたヴァルナとミトラは共に古代インドの最高神であり、太古のアスラ族、アーディティヤ神群を代表した神々である。
ヴァルナは「水」との関連性が深く、仏教に採り入れられた際には水神としての属性が残り、西方を守護する水天となった。
ミトラは太陽戦車に乗って天空を駆けるので、光明神としての性格が強調され、「太陽」と同一視された。
ヴァルナ神よりさらに広範囲で信仰され、ミトラ神は仏教において弥勒菩薩として採り入れられた。
さて、アーディティヤ神群としてのヴァルナ神とミトラ神は、表裏一体を成すとされる。
この場合、ミトラが契約を祝福し、ヴァルナが契約の履行を監視し、契約に背いたものには罰を与えるという。
本来、人は人に罰を与えることは出来ない。
まして、復讐などはもってのほか。
では、誰が裁くのか。
『聖書』の「ローマ人への手紙」12章19節には次のように記されている。
~愛する人たち。
自分で復讐してはいけません。
神の怒りに任せなさい。
それは、こう書いてあるからです。
「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」、と主は言われる~
つまり、キリスト教に限らず、どの宗教でも復讐するのは神の仕事なのである。
ミトラが太陽=火=「か」、ヴァルナが水=「み」なのである。
それぞれの属性を考えれば、表裏一体のミトラとヴァルナは正しく「かみ(神)」ということなのだ。
インド神話に登場する聖仙アガスティア。
北斗七星と同一視されている七聖賢(サプタルシ)には含まれないが、リシ(賢者、仙人)として有名である。
リシとは一般には温厚であるが、一度怒りを発すると手がつけられなくなり、苦行力(超能力)によって、条件付きの「死の宣告」をしたり、雨を降らせないなどの災いを引き起こしたりするという。
アガスティアは上記のヴァルナ神とミトラ神がアプサラスのウルヴァシーに見とれ、精をもらした水がめの中から生まれたと伝えられている。
アプサラスはインド神話における水の精で、その名は「水の中で動くもの、雲の海に生きるもの」の意で、天女と称されている。
リシであるアガスティアは、ヴァルナ神とミトラ神の子どもとされることから伝説(架空)の人と思われがちだが、紀元前3000年頃に実在したとされている。
その証の一つが、アガスティアが残したとされる個人の運命に対する予言が書かれている葉、「アガスティアの葉」である。
古代タミル語で記されており、ナディ・リーダーと呼ばれる人たちが現代タミル語に翻訳してくれる。
1994年に、作家でありインド医学研究者の青山圭秀(1959年2月12日ー)によって、「アガスティアの葉」は日本に紹介された。
「アガスティアの葉」を探しに行く人は、一度だけに限らず、リピーターになることが多いようだ。
何と4回も南インドまで足を運ぶ強者もいる。
では、何故それほどまで「アガスティアの葉」に魅かれるのか。
4回訪ねた人によると、その都度その人自身の運命が変化しているからなのだそうだ。
もっと正確に言えば、数年後の予測が、どんどん明瞭化されていたと語っていた。
予想だにしなかった未来も、時が経ち、必要性に駆られ、いつの間にか「アガスティアの葉」の通りになっていく。
特筆すべきは、「アガスティアの葉」にはその人の両親の名前が記されているということだ。
異国の人の口から、いきなり両親の名前を読み上げられると、疑惑の念が一瞬に吹き飛ぶそうだ。
読む人も異なり、場所も異なるのに、「アガスティアの葉」には正確にその都度両親の名前が記されている。
けれど無情にも、死の予測も記されているという。
但し、カルマ解消の儀式も記されている場合があり、所定の手続きで半年毎朝祈りを捧げ、延命することも出来るようだ。
最新の「アガスティアの葉」には、祈りが聞き届けられ、命が伸び、長命の星回りになったと書かれていたのだそうだ。
つい最近(現地時間2019年1月23日)、マイケル・ジャクソンの半生を描いたミュージカルの上演日が決定されたとの公式発表があった。
現在制作中なのだそうだが、タイトルは前回の当ブログ記事に張り付けた動画“Don’t Stop ‘Til You Get Enough”である。
(いつもながら、ナイスフォローをありがとう。マイケル!)
2019年10月29日から12月1日まで米シカゴのジェームス・M・ネダーランダー・シアターでプレミア上演され、その後2020年にブロードウェー・デビューを果たすそうだ。
大変僭越ではあるが、魔法のようなマイケル・ジャクソンの人生を私が考えるとき、どうしても取り除きたい病や事故がある。
それは、持病である尋常性白斑と鼻の骨折、そしてペプシのコマーシャル撮影時の頭部の火傷である。
きっと「アガスティアの葉」には、それらの記載がなされていたのだろう。
時間を逆戻りするわけにはいかないが、それでも取り消す方法がなかったのだろうかと、考えずにはいられない。
取り消せないのは分かっているが、私の「アガスティアの葉」に、マイケルの不運のもとになった尋常性白斑と鼻の骨折と頭部の火傷をうつせないだろうかと、今でも時折願ってしまう。
何故なら、私だったら一般人なので、痛みは一緒でも、マイケルほど悩むことは確実に少なかったと思うからだ。
とりとめもないことなのだが、何度も繰り返し、真剣に考えてしまう。
p>
「そんなこと、僕は君に望んでいないよ。もっと、僕を愛して。けれど、どうか愛し過ぎないで」
優しくて甘いマイケルの声が、今日もどこからともなく聞こえてきた……。
Thank you for the upload.
※Rock With You 、 Off The Wall 、Don’t Stop ‘Til You Get Enough のメドレーです! パフォーマンスをしながら、いろいろスタッフに指示も出す、超セクシーなマイケルを。
ヴァル 関連ツイート
ハピエレふざけんな…マジふざけんな……またヴァルじゃん…これでポイボじゃなかったらほんとつらい…………