フレコの新提案。
いよいよ大っぴらに日本全国に放射能汚染土をばら撒きます!!
2018年夏より、福島の放射能汚染土を「ビル」、「家」、「公園」、「道路」等に再利用されます!!
恐怖の放射能汚染土の全国拡散が今、始まる→福島の除染廃棄物を全国へ恐怖の放射能汚染土の全国拡散が今、始まる→福島の除染廃棄物を全国へ
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恐怖の放射能汚染土の全国拡散が今、始まる→福島の除染廃棄物を全国へ
福島原発事故によって福島県内にばら撒かれた放射性物質。その放射性物質を除染した際に発生する除染廃棄物は福島県だけでも最大で2200万立方メートル…これは東京ドーム約18杯分にもなる膨大な量です。この福島県内で発生する除染廃棄物を巡って2016年6月7日に環境省より衝撃的な発表がありました。※1
フレコンバッグ)の山” class=”alignnone size-full wp-image-12008″ data-mce-src=”https://www.sting-wl.com/wp-content/uploads/2016/06/jyosen1.jpg” height=”414″ src=”https://www.sting-wl.com/wp-content/uploads/2016/06/jyosen1.jpg” width=”624″>
この福島県内の除染廃棄物の最大45パーセントを日本全国に拡散し、道路や防潮堤の建設資材として再利用するという内容です※3
※2016年7月1日続報のもご一読下さい。
具体的には放射能に汚染された除染土を、日本全国の道路工事や鉄道の線路を整備する際の盛り土はじめ、海岸の防災林や防潮堤の建設資材、さらに土地の造成や海などの水面を埋め立て地にする際に再利用するというもの。※2
本来、福島県内で発生する除染廃棄物は福島第一原発周辺に建設予定の中間貯蔵施設に搬入し、さらに30年以内に福島県以外の都道府県に建設される最終処分場に搬入するのが日本政府・自民党の今までの方針でした。※3
実際、中間貯蔵施設の建設予定地内にある一時保管場(ストックヤード)への除染廃棄物の搬入は2015年3月13日からすでに始まっています。やっと福島県内の各市町村の仮置き場にバラバラに置かれていた除染廃棄物が1箇所に集約されることになったばかりです。※4
にもかかわらず環境省がなぜ放射能に汚染された除染土を全国拡散しようと言い出したのか?環境省の考え方が基本方針案に記載されていますので読んでみましょう。※5
「(福島県の)中間貯蔵施設に搬入される除去土壌等は最大2,200万m3と推計され、全 量をそのまま最終処分することは、必要な規模の最終処分場の確保等の観点から実現性が乏しいと考えざるを得ない」 |
つまり環境省は、福島県内の中間貯蔵施設に搬入される最大で2200万立方メートル…東京ドーム約18杯分の除染廃棄物を、そのまま搬入できる規模の最終処分場を福島県外に建設するのは無理なので、放射能に汚染された除染土を日本全国に拡散して最終処分場に搬入される除染廃棄物の総量を減らしたい。そういう怖ろしいことを真顔で主張しているのです。
では環境省の言うように「必要な規模の確保」つまり中間貯蔵施設と同規模の最終処分場の敷地を福島県外で確保するのは困難なのか?検証してみましょう。
敷地の話ですから、今度は立方メートル(体積m3)の話でなく平方メートル(面積m2)を使います。福島県の東京ドーム約18杯分の除染廃棄物を一時保管するため建設される、福島県内の中間貯蔵施設の面積は何平方メートルなのか?に注目してみましょう。
この東京ドーム約18杯分になる除染廃棄物を一時保管するため福島県に建設予定の中間貯蔵施設の総敷地面積は約1万6000平方メートルと予定されています。※6
そして東京ドームの敷地面積は4万6755平方メートルです。※7
計算すると…
1万6000m2÷4万6755m2=0.34220938
つまり東京ドーム0.34個分の敷地があれば東京ドーム約18杯分になる福島県の除染廃棄物を一時保管できるのです。
1つここで、この記事を読んで下さっているあなたに質問します。
日本全体の国土…面積は東京ドーム何個分あると思いますか?
答え。国土地理院によると日本の全体の国土面積は3億7797万0750平方メートルです。それに対して東京ドームの敷地面積は4万6755平方メートルです。※8
3億7797万0750m2÷4万6755m2=東京ドーム8084個
日本全体の国土は、東京ドーム8084個分もあるのです。
狭い日本といえども。
環境省の主張していることは東京ドーム8084個分の面積がある日本で、たった東京ドーム0.34個分の面積の最終処分場の用地が福島県以外の都道府県では確保できない。だから放射能に汚染された除染土を日本全国にまき散らすと言っているのです。日本全体の面積を%にすれば福島県の中間貯蔵施設の面積は日本の面積のたった0.004パーセントにすぎません。
東京ドーム0.34個÷東京ドーム8084個=0.0000420583
日本の面積の0.004パーセントにすぎない最終処分場の用地を福島県以外の都道府県では確保できない。だから放射能に汚染された汚染土を日本全国にばら撒くと宣言しているのです。
環境省の今回の主張は時間的な意味でもおかしいです。あきらめるのが異常に早すぎます。
福島県の中間貯蔵施設への搬入が開始されたのが先ほども言いましたが去年2015年3月13日です。この日から30年以内に国は、福島県外の最終処分場に除染廃棄物を運び出す義務を負っていますが30年とは具体的には2045年3月12日までです。
まだ28年以上もあるのです。
これが例えば30年の期限まで数年と差し迫っているのであれば環境省の主張も理解できます。しかしまだ28年以上あるのです。30年期限の時計が動き出してから…たった1年3ヶ月で最終処分場に必要な規模の敷地の確保ができないとギブアップする、だから福島県内の除染廃棄物の最大45パーセント…約半分を日本全国にばら撒こうと言い出す。これは、いくらなんでもおかしいです。
それから環境省が日本全国にばら撒くと言っている福島県の除染廃棄物はセシウムで汚染された8000ベクレル以下の除染土を指します。この8000ベクレル以下の汚染土が福島県の除染廃棄物全体に占める割合を下記の棒グラフで見てみましょう。
福島県の除染廃棄物の総量は最大で2200万立方メートルです。それに対し8000ベクレル以下の除染廃棄物は一番左の棒グラフがそうですから1006万立方メートルとなります。※3
1006万m3÷2200万m3=0.45727
つまり福島県内の除染廃棄物の最大45パーセント…約半分を日本全国に拡散し、道路や防潮堤の建設資材として再利用すると言っているのです。
なお環境省は全国に拡散する放射能で汚染された8000ベクレル以下の除染土を、ありがたいことに浄化物と名付けています。
皆さんにうかがいたい。殺人鬼に「聖人」と書かれた名札をつければ聖人になりますか?水が入ったペットボトルに「赤ワイン」というラベルを貼れば赤ワインになりますか?
たとえ「浄化物」という名前を付けたとしても、その実態は8000ベクレル以下の放射性セシウムで汚染された汚染土に変わりはないのです。
それから本来、放射性廃棄物が制限なく再利用できるのは原子炉等規制法にある1キロあたり100ベクレル以下までです。
しかし環境省は今回、汚染土を埋めるのは長期間にわたり掘り返されない道路や防潮堤などであり、かつ管理者も明確な公共工事に限定するので1キロあたり8000ベクレル以下で再利用しても問題はないと主張しています。
1キロあたり8000ベクレル以下の除染土を再利用の対象としたのは、放射性物質汚染対処特別措置法で一般廃棄物として廃棄が可能だからだと言うのです。しかし、この8000ベクレル以下というのは、そもそも廃棄…つまり捨てるための基準であり、再利用のための基準ではありません。
これらの事実を覆い隠そうとするように環境省は、放射能汚染された汚染土の上に汚染されていない土砂やアスファルト、コンクリートを10センチ~1メートルかぶせ、さらに小規模な陥没などが起きた場合に備え、かぶり厚が確保されるように余裕を持って設計する。
こうすることで放射能汚染された汚染土の流出を防ぎ、周辺住民や施設利用者の追加的な被ばく線量は年間0.01ミリシーベルト以下になるから大丈夫だと主張します。しかしこの被曝線量には裏があり破損時等を除くと例外が規定されています。※5
では破損した場合の被曝線量はどうなるのか?ページの隅に小さくこう書いてあります。
「万一、津波等の大規模災害により構造物の大規模な破損等が生じた場合を仮定し、放射線に関する安全性を評価したところ、周辺住民及び作業者の追加被ばく線量はいずれも1mSv/年以下となる結果が得られている。」 |
つまり周辺住民は大規模な破損が生じた場合に最大の追加被ばく線量として年間1ミリ-ベルトを覚悟して下さい、ということです。放射線感受性の高い妊婦も赤ちゃんもです。
根源的な問題として、なんでわざわざ福島県から放射能で汚染された汚染土を遠路はるばる日本全国津々浦々まで運んで、道路や防潮堤の下に埋める必要があるのか?私にはさっぱり理解できません。
そもそもなぜ福島県内を除染したのか?と言えば東電によってばら撒かれた放射性物質は本来、私達の日常に絶対あってはならない物だったからです。
だからこそ、ばら撒かれた放射性物質を莫大な税金と5年の歳月をかけて、私達の日常から除染によって放射性物質を分離し、黒いフレコンバッグに集め、福島県内の除染廃棄物をすべて中間貯蔵施設に運び、やがて最終処分場1箇所に集約し厳重に隔離する。
わざわざ集めた除染廃棄物を再び全国拡散するとしたら…いったい何のために除染したのか?
地震などの災害が起こるたびに道路の下から除染廃棄物が顔を出し、また私達の日常に放射性物質が拡散する。再び除染が必要になってしまいます。これが日本全国で起こるようになるのです。
これでは、いつまでたっても堂々巡りで…私達の日常から放射性物質が消えることはありません。むしろ放射能汚染が日本全国に広がっていくばかりです。
これで喜ぶのは、安心して放射能漏れが起こせるようになる原発を保有する電力会社と除染業者だけです。
自民党の井上信治環境副大臣は、福島県の放射能に汚染された汚染土を全国拡散することに関してこう述べています。※9
「(除染土の)再生利用は最終処分とは異なるもので、福島県の内外にかかわらず(日本)全国で進めていきたい。こういう(除染土の上に、汚染されていない土砂やアスファルト、コンクリートを10センチ~1メートルかぶせる)やり方なら安全だと理解してもらう努力をしていきたい」 |
一番安全は方法は原則通り、福島県内の中間貯蔵施設に搬入し、その後最終処分場に搬入する方法です。
最大で1006万立方メートル…つまり東京ドーム約8杯分の放射能で汚染された汚染土を福島県からトラックなどに乗せて日本全国津々浦々まで運び、道路や防潮堤の下に埋める。
これこそが前例のない危険な行為であり、このまま計画を進めれば交通事故や過積載や運送業者の安全管理の不徹底などが原因
なり、放射能で汚染された汚染土が環境中に再拡散することが日本全国で必ず起きることになるでしょう。
以上
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ビジネスマンが選ぶ超イカしたフレコ10選
16歳で被災した羽生選手は、自らの夢に被災地の思いも背負い、
2度のオリンピック金メダリストとなりました。
2月19日の日刊スポーツで福島県いわき市の遠藤さんが「羽生くんの頑張りに泣き崩れた。ありがとうと伝えてほしい」とコメントを寄せています。
遠藤さんは、2015年の6月、羽生くんが福島県富岡町を訊ねた時、除染廃棄物が入ったフレコンバッグを一緒に見て、町の現状を説明して下さった方です。
【2015/8/21放送 every 】より
遠藤さん「どんどん水かさが増して「高波来るから逃げろ」って。今でも鮮明に覚えてますよね。忘れられないですよね。あの瞬間あの日々っていうのはね」
羽生「僕も鮮明に、何がどうなって、こうなってってこうなったっていうのは全部分かります」
羽生くんが避難した学校
避難した当時、羽生くんが自分で撮影した避難所の様子
■羽生結弦の金に感謝 福島原発事故の語り部遠藤さん
[2018年2月19日9時5分 ]
東京電力福島第1原発事故の被災地も、平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)フィギュアスケート男子の羽生結弦(23)の金メダルに元気をもらった。連覇から一夜明けた18日、福島県いわき市在住の遠藤義之さん(45)が日刊スポーツに連絡。「結弦くんの頑張りに泣き崩れた。ありがとうと伝えてほしい」と訴えた。昨年4月、一部を除いて避難指示が解除された富岡町から避難中。原発から約7キロにある自宅は、放射線量が高い帰還困難区域にあり、震災後7年の今も戻れない。
羽生はソチオリンピック(五輪)の翌15年6月、原発事故の現状を見に、同市や広野町を訪れた。除染廃棄物を入れた黒いフレコンバッグが大量に置かれた現場、津波被災地域を見て回った。遠藤さんは語り部活動をしている関係で、羽生に同行。その時を「彼も被災地仙台出身。何か『被災地のために』という思いが強く、いろんなものを背負いすぎている印象だった」と振り返った。
その夏、羽生から都内のアイスショーに招かれた。震災後、妻子は都内で暮らし、半年に1度しか会えないため、久々の家族だんらん。演技後、羽生から「遠藤さん、待っていてください。写真を一緒に撮りましょう」と言われた。
今回の羽生の金メダルに「本当に勇気づけられた。未来への力になった」と感謝した。【三須一紀】
震災時のニュースを上げて下さっています。非常に貴重なものです。
■のTwitter
(震災時のニュース動画)
アナウンサー
東日本大震災特別番組を宮城県の皆さまに向けて、仙台からお伝えしております。皆さまの切実な声、メールで頂いております。どんな事でも結構です。時間が許す限りご紹介して参ります。
まず1通ご紹介します。泉区にありますアイスリンク仙台です。スケート場ですね。「従業員、インストラクター、皆大丈夫です。震災時、羽生結弦くんも練習していましたが、無事です」という事を頂きました。
アイスリンク仙台、震災時は、あのフィギアスケートの東北高校の羽生結弦選手も練習していたという事ですが、無事だというメールを頂きました。
☆☆☆☆☆☆
ねこおぢさんのTwitterには、「♯羽生結弦選手は震災時に仙台のスケートリンクにいた」というタグがつけられ投稿されています。
羽生選手に関する嘘を広めている人に対する反論の意味です。
羽生選手が平昌で金メダルを取り、国民栄誉賞授与を検討するニュースが流れてから、さらに有らぬ事を言い広める人たちがいるようです。
新しいファンの人たちは、どうぞ羽生選手の映像をたくさんご覧になって下さい。あちこちにある信頼性の高い記事を読んで下さい。
羽生選手自身の言葉を聞いて下さい。
そこに真実があります。
⬅避難所での様子はこちらの記事でどうぞ。
⬅ソチ後小学校の先生にお礼に行った時
震災から2週間後、神奈川の都築先生の元に行くことになります。
その頃の羽生くんについてはこちらの記事で。
羽生選手の多くの事は、
ほとんど全て映像で残されています。
羽生くんが言っていたように
羽生くんが言った事も、やってきた事も消えない。
私には忘れられない
ある方の話をさせて下さい。
2年前のNHK杯のエキシの次の日、ゆづ友さんのブログで
昨夜、あるブロガーさんが天に召されたと知りました。
こう書くと、私が誰の事を言っているのか
分かる方もいらっしゃると思います。
最後の方の記事を何本か読みました。
私は初めて彼女のブログを読んで、そして、涙がとまりませんでした。
「あと少しだから頑張りたい」
「自分でもよく十年間もがんばったなあって思う」
闘病生活の最後の時間を過ごしていた彼女が綴った言葉です。
あと少しだから頑張りたい・・
彼女の文章に悲壮感は全くなくて、
何かをやり遂げようとする達成感のようなものさえありました。
まだ二十代の半ばだった彼女の十年間に及ぶ闘病生活。
どうやって心折れずに、希望を失わずにいられたのか。
ブログから分かったのは、一つには彼女を支えていたご家族の献身的な支え。
もう1つは、羽生選手の存在でした。
彼女は、NHK杯をとても楽しみにしていました。
自分が投薬の影響で眠ってしまって
その間にNHK杯が終わってしまうんじゃないかと心配していました。
彼女のご家族は、最後の3日間、彼女の耳元で羽生くんの楽曲を流し続け、どうにかショート、フリー、エキシビションの間だけは意識を戻させる事ができ・・
そうしてその夜半、天に召されていったのです。
彼女が最後に聴いたのは、ノッテ・ステラータの音楽。
最後に見たのは、羽生くんの白鳥の滑り。
そして、空いっぱいの星に包まれて
天に昇って行ったに違いありません。
涙が溢れて溢れてとまりませんでした。
私は、彼女を忘れられない。
ずっとずっと心の中で彼女の言葉を思い出していま
した。
最近、当時ブログを読んでいたゆづ友さんに聞いてみました。
私が読んでいない部分に何が書かれていたの?
彼女はどんな人だったの?
ゆづ友さんは自分もあんまり多くは読んでないのよと言いながら、病棟での様子と、いくつかの微笑ましいエピソードを教えてくれて、それから、「でも彼女ね。なーんにも恨んでなかったよ」と言いました。
そう、そういう人だったよね。
たった数本のブログしか読んでいなくても
彼女は前向きで、明るさがあり、とても力を貰えました。
彼女は「今を生きて」いました。自分の辛い状況を悲観する事もなく、
今出来る精一杯の事をやろう。そういう気持ちに満ちたブログでした。
彼女が書いた最後の記事のタイトルは「幸せです」。
それは羽生くんを思わせ、
そこに惹かれてファンになる人の心もやっぱり美しいと思いました。
彼女は、羽生くんのファンとしてとても相応しい人でした。
私は、あれからずっと彼女をファンの模範として心に留め
時折思い出していました。
NHK杯のあと、GPファイナルも、世界選手権もオリンピックも見たかっただろうに・・
でも、いいえ・・彼女は今はもう自由になっているんだもの。
バルセロナにもヘルシンキにも行って、一番前の一番良い席で羽生くんが演技する姿を見たに違いない。
平昌では、きっと彼を守ってくれただろう。
羽生くんの演技に、生きる姿に勇気や希望を貰ったのは
被災地の方だけではありません。
世界中から羽生くんを称賛する声が寄せられています。
羽生選手の思いも世界に伝わりますように・・
羽生選手の言葉(日本記者クラブ会見で)
自分が幸せになった時に、たくさんの方々が幸せになって、そしてその幸せが還元されてまた自分に戻ってきて・・
自分がこうやって笑うことによってみんなが笑ってくれる。
そんななんか平和な世界・・じゃないですけどそういう事は凄く感じました。
番組のお知らせ
・NNN news every 特別版 震災7年 知りたい災害新常識
3/11日 13:30~15:00
羽生結弦選手 オリンピック金メダルを支えた東北への思い
◆お写真はevery以外はお借りしました。ありがとうございました。
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