フレコ バラの包みのお買物
よくわかる! フレコの移り変わり
先日、ラジオ「週末ナチュラリスト」の取材で福島に行き、
川俣町山木屋地区にお住まいの大内秀一(ひでかつ)さんに、昨年に続きお会いしてきました
(大内さんとナチュラリスト大橋D)
大内さんは、冬の間、田んぼをスケートリンクにする「山木屋スケートリンク」を開き、30年以上ライフワークにしてきました。
田んぼに水を撒き、自然の温度を利用してゆっくり氷をつくり、子供たちのためにスケートリンクを作ります
そこは遊びの場としてだけでなく、国体選手を輩出する、メッカのような場所になってました。
しかし、3・11以降、山木屋地区は福島第一原発の事故による放射能のための避難指示区域になり、スケートリンクも休止を余儀なくされることに。。
(赤色は、いまだ誰も住んでない帰還困難区域)
そして震災から6年がたった2017年の3月31日に、山木屋地区はやっと避難指示が解除になりました。
まもなく1年。
震災前の人口が1200人の山木屋地区。もともと過疎の問題を抱える地区でした。
解除になっても帰ってきた人は少なく、高齢者がほとんどという実態。
しかし、準備帰還も利用して、大内さんは2016年から、スケートリンクを再開します。
大内さんの、「この土地で生き抜いていく」という覚悟を感じました。。
再開して、3年目の今年はやっと小さい子供たちの声も聞こえるようになったようですが、最初のうちは、やはり少ない状態。
よくわからない、放射能。
何より子供には、、と考える親御さんもまだ多いのが現状のようです。
そういう私も、去年初めて福島に降り立った瞬間、正直、なんとなく怖かったのが本音です。
おそろしい思い込みですね。。
それは、よく知らなかったから。
今年は、大内さんにまたお会いできるうれしさと、
福島のおだやかな空気感が思いのほか気に入って、感じ方が全く違ったことにひそかに驚きました。
しかし、大内さんが
「放射能、放射能っていうけど、自分の普段食べてるものには、みなさん無頓着ですよね。どこから来て、何を与えて、どうやって育てられてるかわからんもの、なんも考えず食ってるのに、放射能にだけは異様に反応する」とおっしゃってたのが印象的でした。
そうだよなぁ。。
どこで住むか、何を食べるか、なども含めて、自分の生き方や信念を、期日が迫る中で決断しなければならなかった7年間は、長いのか短いのが、それが正しかったのか正しくなかったのか、本当にいろいろと逡巡した年月だったんだろうなぁと想像しました。
今回の取材を写真でまとめた、番組のFacebookページです。
まだまだフレコンバックも多いのが現状でもあります。
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