月刊「ラウドネス」
1日だけですが東京のにて
7月2日(金)に出演するサウンドチェッカーズというバンドで
ゲストヴォーカルとして3曲程歌う事になりました。
ステージで歌うこと自体何年振りでしょうか?
芝居の中で歌ったのはOh!LaBanbaの「アンドロイドは眠らない」や
フジテレビの「産隆大學応援団」の舞台でありましたが
バンドで・・・しかもヘヴィーメタルとなると
17年振り?・・・恐ろしいですね(笑)
当時は髪の毛が一番長いときで腰までありましたが
今はご覧の通り短髪でござんす。
ちょっとHDに入ってる昔歌ってた時の画像を軽く見ますと
これは僕が大阪に居た時にやってたバンド「番台」が
梅田にあるゾンビパレスってアメリカンパブで
たしかハロウィンの時にやったライブですね。
ぼく上半身裸でピンクのブーメランに足ひれで
歌いながら暴れ狂ってました(笑)
この時は既にハードロックは歌ってませんでしたが
僕のノリがそこから抜け出せずバンドメンバーは呆れてました(笑)
そのバンド「番台」のオリジナルライブの時はこんな感じで
真剣に歌っておりました(笑)
残ってた写真を取り込んでるので鮮明ではないですが
日付は95年になってますね。
ってことはさっきのハロウィンが94年ですから
21歳の時の松本勝って事になりますな・・・今より老けてる(爆)
そんでもってこの年にバンドが解散し翌年にNYに飛んでいきました。
1996年の6月にアメリカはニューヨークにいきまして
この画像はジョン・レノンの誕生日を祝うセントラルパークでの集会で
10月9日の事でしたから
全然英語喋られへんかった僕が渡米して4ヶ月後には
こうやって色々な国の人たちの輪の中心で歌ってたてのは
日本で僕を見送った誰も想像出来なかったでしょうね(笑)
そんでもってその次の年1997年1月は僕の人生にとって
強烈な思い出とその後10年は消えなかったトラウマを生んだ
ニューヨークのハーレムにあるアポロシアターのアマチュアナイトで
1位を獲得した時のもんですね。
黒人の伝統的なシアターでアポロ劇場()
そのステージは世界一過酷と当時言われてまして
歌、ダンス、コメディetc兎に角舞台でパフォーマンスして
客の拍手が一番多い人が勝ちで
ブーイング受けて退場した負けみたいな
シンプルといえばシンプルなんですが
もう上手いとか下手とか以前にまず見た目が気に喰わなかったら
ブーイングされて自分のパフォーマンス出来ずに終わる出場者は全然珍しくなく
逆差別って事でもないでしょうが
黒人以外の出場者が壇上に立つと漏れなくブーイングの挨拶が浴びせられます(笑)
まぁ僕も例外ではなく最初は強烈なブーイングでした。
しかも歌ったのがビートルズですから(爆)
この決断をした時点で「勝は多分舞台後オーディエンスにめちゃめちゃにされる」と
僕の学校の黒人の先生は応援に来てくれませんでした(苦笑)
最初はレイ・チャールズ歌ってもし万が一勝ったら
その次はサム・クックを歌おうと考えてたのですが
イエローがブラックの伝統に挑むのに普通のことやってても面白くない!
ここはホワイトの伝説を俺なりソウルでぶつけてやる!
そんな無謀な事を普通に考えてた23歳の松本勝・・・アホです(笑)
結果、途中から一人の客の女の子が悲鳴を上げて急に立ち上がったと思った瞬間
地鳴りのような大歓声を受けまして1位になりましたとさ♪
けどそれは週のチャンプでして
その次のステップの月の大会では司会者と揉めて
歌も殆ど歌わせてもらえず退場となったんですがね(爆)
まぁそんなこんなで(←どんなこんなやねん)
話は昔話ちっくな方向に進みましたが
久々に歌います!
東京近郊に住んでて7月2日暇で暇で仕方がなく
尚且つ、ハードロックが好きな方は是非♪
ちなみにオリジナルではなくカヴァーします。
曲はラウドネス()の曲は3曲とあと何かしら歌うみたいです。
メンバーも強烈ですがそれは追々ブログにアップするという事で。
・・・はたして僕に歌えるんだろうか?(汗)
ラウドネスで一味違う、ワタシ
ラウドネス 関連ツイート
ラウドネスはどんな感じだったんやろうか?
にわかに思い出してApple Musicで探してみた。ラウドネスとこのバンドはやはり日本メタルの草分けだよね。
#LUNATICFEST2018