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戦前の国定教科書の小学五年生の教科書には「雨の養老」というお話がありました。この物語には、養老という元号にまつわる天皇のお話と養老の滝のお話が観光レポートのようにまとめられており、元正天皇の時代の習慣まで盛り込まれ、現在が昔と繋がっていることまでがわかるようになっています。
本日、本州の天気はおおむね雨のようですが、もしかしたらこの「雨の養老」は今ぐらいの時期のお話なのかもしれません。
雨の養老
二人は、養老駅で電車を下りた。
「秋野君、たうとう雨になった。」雲の低くたれた空を見上げながら、残念さうに一人が言ふと、
「雨の方がいいよ。」と、秋野君と言はれた男は、すこぶるのんきである。
「物好きだなあ。名所見物に雨がいいと言ふのは、恐らく天下に君一人だらう。」
「まあ、何でもいい。黙ってついて来るさ。」
爪先上りの広い道をたどりながら進む前には、こんもりと茂った山が見上げる程迫って、その頂きは霧に包まれてゐる。幸いに雨はさして烈しくない。
一粁(キロメートル)も進んだ頃から、だんだんあたりが仙境らしくなって来る。足許を清らかに流れる水が、行く人に、ひそやかにささやきかける。空を半ば覆ふやうに、桜や楓の老樹が枝をさしかはす下道は、軽く曲折しながら、人を奥へ奥へと誘って止まない。下枝の紅葉から紅の雫でも落ちて、さしてゐる傘(からかさ)を染めはしないかと思はせる。
「いいなあ。」と、一人が思はず歓声を発する。
「河井君、雨の方がいいよと言ったのは、これだよ。見給へ。人つ子一人通らないじゃないか。お天気で御覧、この辺、人がうようよしてゐてね。」
「成る程。」と河井君は、うなづかざるを得なかった。
老杉のやや暗い下道から、右の山へ導く高い石段を上って、養老神社へ参拝する。小さい社殿の右側に、玉垣を巡らした泉がある。底はごく浅いが、こんこんと清水が湧き出てゐる。
秋野君は言ふ。
「昔元正天皇がわざわざ行幸なさった霊泉といふのがこれだ。」
「あっ、これがさうなのか。そのことなら僕だって知っているよ。昔、ある若い男が山へ薪を拾ひに行って、谷間にすべり落ちると、不思議に酒の香りがする。見ると近くに流れがあって、それが皆酒だ。若い男は喜んでそれを汲み、父親に持って帰って孝行をした。時の天皇がお褒めになって、わざわざここに行幸なさったといふ話だろう。すると、この泉の水が昔は酒だったわけだね。」
「河井君、その話もあるがね、しかし歴史によると、天皇はこの泉の水をお褒めになって、『老を養ふべし。』と仰せられ、年号を養老とお改めになったことになってゐる。してみると、やっぱり昔から水だったのだ。」
「するとあの孝子*はどうなるね。」
「どうともならないさ。かういうめでたいことのあった時には、当時の習はしとして改元になる。さうして、その地方の孝子などを御表彰になるのだ。あの孝子も、多分、その時表彰された一人だろうと思はれる。」
「成る程。それでよく分かった。」
「さた、そろそろ滝見に行かうかな。」
滝へ行く坂道は、ぐっと急になる。左右から枝を支へた桜や楓のトンネルがしばらくは続く。下葉は折から美しく色づいていた。脚(あし)下には、谷川の水が石をかんで、しきりにさはやかな響きを静かなあたりに伝へる。大分、山が深まって来た。雨に煙る行く手から、今にも薪を負った孝子の姿が現れそうな気がする。
橋を渡って谷川の向かふ岸へ移る。それから数十歩坂道を上がると左手に茶亭があった。秋野君がすたすたと急ぎ足にその前を抜けて、急に河井君を振り返った。
「見給へ。」と指さす彼方、真直ぐな杉の木立を伝ふように、白い物が上から下へと走ってゐる。河井君はじっと目をこらした。
「あ、滝か。」
一歩一歩進むに従い、木立は移動して、その奥に養老の滝が完全な姿を現す。そこにまた小さい土橋があった。
「この橋から見た滝が、僕は一番いいと思ふ。」と秋野君が言ふ。正面にやや遠くかかる滝は、下に畳み重なる岩間を縫ひながら、分流屈折して橋下へ注ぐ。
「小さいが、実にいい滝だね。」
と河井君が感心する。
「こっちへ来給へ。」
先立って行く秋野君に従って、橋を渡り、岩と岩の間の道を抜けてひょっこりと出た所に、滝は三十米の空から白い絹をさらしかけて、下の滝壺に吸ひ込まれるやうに注いでゐる。
「滝壺のごく浅いのがこの滝の特徴だよ。」と、秋野君が説明する。しかし、河井君は黙ったまま、じっと落ちてくる水に眺め入った。大空から勢ひよく落下する水の太い束が、たちまちきれぎれの大きな塊になって、次から次へ投げ下される。すると、その塊はやがて絶壁に砕けて、白玉のすだれを広げる。水晶のやうに細やかである。
「いいなあ。」
河井君は幾度かかう言って、いつまでもそこを動かうとしなかった。
*孝子=親孝行な子
本日は、以前は敬老の日とされていた日です。敬老の日は、現在ハッピマンデーにより9月の第三月曜日となっており、今年は9月17日となっています。
「敬老の日」発祥の町、は敬老の精神をいつまでも受け継いでいくために、公募で作成した敬老のうた「きっとありがとう」を制作しています。
日本の休日が明治時代に決められた時、その日付は宮中祭祀の祭日や祝日から制定されました。終戦後名前が変更させられたりしましたが、その本質は変わっていません。その後追加されたものもなんらかの天皇に由来する日付で制定されています。
そうした中で、敬老の日は天皇に由来のない民間から制定された日付といわれています。しかし、色々とたどるうちにその民間で決めた日付そのものが天皇・皇室由来だったのではないかと考えるようになりました。
敬老の日発祥の地、多可町のHPにある由来は以下です↓
「敬老の日」の誕生は、戦後の動乱期、昭和22年までさかのぼります。
当時、野間谷村(現・八千代区)の村長であった門脇政夫さん(中野間)は、初めて村主催の敬老会を開催しました。長い間社会に貢献してきたお年寄りに敬意を表すとともに、知識や人生経験を伝授してもらう場を設けることが目的だったそうです。
敬老会の期日は、農閑期で気候的にも過ごしやすい9月15日とされました。当日は、村中の自動三輪車を集めて55歳以上の人を送迎し、公会堂に招いてごちそうと余興でもてなしました。
翌昭和23年に「国民の祝日に関する法律」が施行。その中で、こどもの日・成人の日は祝日として挙げられましたが、敬老の日は挙げられませんでした。そこで、門脇さんは、この年に開催した2回目の敬老会で、9月15日を「としよりの日」と定め、村独自の祝日にすることを提唱しました。
そして昭和25年、兵庫県は他県に先んじて9月15日を「としよりの日」と定めました。さらに、県や国に対して働き掛けを続け、昭和41年、ついに「敬老の日」は体育の日などとともに国民の祝日に加えられました。
「敬老の日」の提唱者 名誉町民 門脇政夫氏が語り継ぐ
-「敬老の日」に込める思い-
昭和22年当時は戦後の混乱が続く時期で、子どもたちを戦地に送った親たちは、本当に精神的に疲れていたのです。わたしは当時、福祉政策に力を入れていて、そんな親たちに少しでも報いてあげなければいけないと思いました。そこで「養老の滝」の伝説にヒントを得て、9月15日を「としよりの日」とし、55歳以上の人を対象に敬老会を催すことにしました。そんな敬老の精神は、全国に輪を広げ、今日の国民の祝日「敬老の日」制定につながりました。
この「母の日」のように輸入された記念日と違い、日本にしかないという祝日は、出来るべくしてできたのかもしれません。
養老の滝の伝説とは
昔むかし、美濃の国に貧しいけれど親孝行な樵が、ある日山に入ったところ、苔むした岩の間から酒の香りのする水が湧き出ていました。
樵は喜び、この水をひょうたんに詰めて持ち帰り、年老いた父に飲ませたところ、この上もない良い酒とたいそうな喜びようです。
この話が奈良の都にまで届くと、時の帝・元正天皇はこの地までお越しになり、この泉の水をお飲みになりました。そして、この樵にごほうびを授けられるとともに、このめでたい年を記念して、年号を「養老」と改められたのです。
この伝説から、この地が養老と呼ばれるようになりました。
面白いと思いませんか?門脇さんが参考にした養老伝説は元正天皇縁の養老の滝の伝説で、実際に元号が養老と1300年前に変えられているのです。昨年は養老と元号が改元されてから1300年の年として、養老町ではイベントがありました。その養老町の言い伝えによれば、元正天皇が養老の滝に行幸され元号が養老と変わったことが、印象的すぎて養老の滝の伝説が後から誕生したといいます。いずれにしても、そこで孝行息子の話が生まれたことが、1200年以上も経ってからも人々へ影響を及ぼしたのです。民間由来の行事が結局は天皇縁の伝説がきっかけで生まれたというのは、古来から君民共生の我が国ならではの話だと思うのです。
しかし、養老町だけでこの1300年祭が行われたのはもったいないことでした。本来であれば、このような1000年を超える記念行事は国を挙げて、あるいはそこまではいかなくても養老町のある岐阜県全体で盛り上げても良かったのではないかと思います。今回検索してみると、平成28年から平成29年にかけて行われたこのイベントが、養老町のHPからはほとんど消えてしまって大垣市のHPにしか残っていなかったのには驚きました。養老町には、こういうことがあったという記念として1300年祭の特設HPを残してもらいたかったと思います。
この動画はのこしておいて欲しいものです↓
養老の滝の側にある養老公園には、ここで紹介したことがある「死なない家」天命反転住宅を造った荒川修作さんが造った身体で体験できるアートがあります。
敬老の日の話に戻しますと、元正天皇よりももっと前の時代の593年の9月15日、した説と、欽明天皇が養老の滝に行幸された日という説が俗説としてあります。
「非田」とは、「慈悲の心をもって貧苦病苦の人を救えば、福を生み田となる」という意味です。非田院は、病者や身寄りのない老人を収容する福祉施設でしたので、敬老の日は、この非田院の設立にちなんだと考えられています。
悲田院は現在、として継承されており、現在の社会福祉法人の創設は昭和となっていますが、日本最古の福祉施設ではないかと思います。
多可町が日にちを設定した時は、収穫の秋の一段落した日が設定されていました。その頃は中秋の名月の時期であったのもその日付に影響があったかもしれません。そして昔から月を愛でた先人達の国日本ですから、その日に天皇が何らかの行動を起こされていてもなんの不思議はないのかもしれません。
古来から、何か起きるとその事を忘れないように人々は語り継いできました。それは、人が忘れやすいから、繰り返し語ることで忘れないため、それについて考えさせるため、そして生活に生かすためのそれが知恵だったのだと思います。そして、そうし
きたのは日本だけではありません。これは古今東西の知恵です。キリスト教では色んな聖人の日がありますが、例えばヴァレンタインデーも、聖人ヴァレンティヌスに由来する日のことで、その日に因んでできたのがヴァレンタインデーの習慣です。
多可町が始まりにせよ、悲田院が由来にせよ、欽明天皇が由来にせよ、あるいは、全てが由来にせよ、9月15日は選ばれるべくして選ばれた日ですから、これらを一緒に語り継ぎ、人生の先輩である方々を大切にしていくことを再確認する日とすればいいと思います。
そのためにも、ハッピーマンデーは止めたほうがいいのではありませんか?
多可町作成の「きっとありがとう体操」動画
日本の休日について知る第一歩「宮中祭祀」
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きのうは 久々のカープ観戦
7月の豪雨災害以降
呉線がとまっていて
9月9日から 一部 再開
呉から広島へ 行けるようになりました
平日の観戦は災害の直前7月4日に行って以来です
次男時間休をとりました
というのも ドラゴンフライズ(バスケB2)の選手が来る日だからです
去年は 私がとりあえず Tシャツを買って (買わなくてもサインいただけます)
サインをもらったのですが
次男三男と同じ中学出身の選手の顔もしらなくて
並んでいるオネーチャンつかまえて きいたくらい・・・
イケメン4人きて ほくほくの去年でしたが 今年は2人
しかも 去年は 仕事を終えてきた次男も サインもらえましたが
今回は 4時50分から5時半と
試合途中の短い時間だけとあって
次男は 時間休をとったわけです
私は 仕事は 好みの仕事だったのですが・・・
(しばらくお留守だったお宅の冷蔵庫の掃除と整理整頓とか
大好き
野菜が液体化していたり事件はありますが・・・)
だけど 疲れます 時間制限あるし・・・
でも 予定より 早くおわりました
いつもの火曜日より 結局 早く帰れました
(朝は早かったけど)
で 帰宅後は しばし 休みたいのに
次男は 2時すぎに 家をでたいと・・・
審が 山路だった
↓ぽちっとしていただけたらうれしゅうございます
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野間 関連ツイート
一番1点が欲しい場面で先頭打者スリーベースだよ
しかも余裕のスリーベースってなにそれ、すごすぎ
ヤッター❗️速い❗️速い❗️
3ベース⚾️ ハヤ🔥
◆広島 4-5 中日◇
[投手]中:笠原
[打者]広(2):菊池
[結果]ショートゴロエラー(SS:ファンブル) 〔0アウト1˃塁〕
[走者]1塁:菊池、2塁:-、3塁:野間
[NEXT]広(3):丸
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