どうする?精密検査!
発覚から手術までの経緯です
8月に卒乳した後、左胸の搾乳をしている時に違和感があり、たまに血がでたことや、塊感を感じてたので、レディースドックでマンモとエコーを受けました。本来、卒乳後半年でないと正確に判定できないし、結果は悪くでますよ、と言われながら、11月10日に出てきた結果は左カテゴリー3、右カテゴリー2。
【11月12日クリニック受診】
近くのクリニックの乳腺外来を予約しようとしたら、2月まで予約が取れず、とりあえず予約を入れつつ、結果をもって向かうと、すぐ調べましょう。とマンモとエコーをしてくれ、そこでも左からは血がでたりしたので、先生も怪しいと思ったのか、すぐに生検しましょう。と細胞を取って検査に回してくれました。
授乳後の石灰化は多くあるので、半年くらいで無くなる場合がほとんど、残ったからといってガンであるわけでは無く、半年待ってもいいけど、半年待ってガンでした。というのも不安でしょう。と。私もなんだか予感はたっぷりあったので、すぐに調べてもらえて幸いでした。
【11月17日乳ガン告知】
福岡旅行に出かけようとしたら、クリニックから電話があり「検査結果が早く出たので、お伝えした方がよいかと」と。。そうか。。と。電話ではガンでしたということだけ伺い、飛行機は遅らせ、すぐクリニックに行きました。先生から転移が無い非浸潤ガン(乳管内のガン)であるが、左がガンなので、右の石灰化もガンの可能性が高いと言われ、左は石灰化が大きいので、手術だと全摘になると思います、と言われました。
電話がかかってきた時から、わりと冷静な自分に驚きました。急だったので、娘も一緒に話を聞きに行ったからか、なっちゃったものは仕方ない、という割り切りからか、先生にも、そんなに急に進行するものでもないし、一週間くらいで病院どこにするか考えてください、と言われました。
旅行キャンセルしようかとも思ったけど、キャンセルしてもガンは無くならないし、楽みが減るだけだな、と決行。笑。電話で聞かされ、東京に残された夫ちゃんが可哀想でした。。。(ごめんよ)
当日の夜、早速経験者の親友Aに連絡。この親友の存在がなかったら、冷静に受け入れられなかったし、こんなに前向きになれなかったし、不安だらけだったと思う。
翌日の夜、母に電話で伝えたら、電話先で少し涙ぐんでるのがわかり、ここで初めて涙が出て泣きました。祖母が乳がんで左胸全摘してたので、お互いに気をつけていたけど、娘が、、という思いがあったのかな。
【11月24日(火)大学病院ブレストセンター初診】
旅行から帰って休み明けにクリニックに行き、紹介状を書いてもらいました。娘の朝寝の後に行ったので、外来受付締め切りの11時ギリギリになってしまったのだけど、先生が電話をしてくださり、滑り込ませてくれました。
クリニックからだと予約なしで、いきなり受診できるとはおもわず、そのまま診察と検査を。娘連れだったのだけど、エコーの時に娘が足元で寝てくれたのには、母感激でした。ほんとに空気を読んでいるというか。神。
【12月9日(水) MRI検査(左)】
左胸の石灰化が大きいため、転移があるか、どのくらい広がっているのか確認するための精密検査。造影剤を打って、30分位、うつぶせでMRI。
【12月10日(木)マンモトームで生検(右)】
右胸の小さめの石灰化は、クリニックでは生検できないので、マンモトームという、横向きで寝ながらマンモグラフィーをしながら、生検のための針を刺す検査。約一時間、寝たまま右胸をマンモに挟まれるという、なかなかの検査。年配の方は辛いだろうな。。。
マンモで石灰化の場所を特定し、そこに針をさし(その前の麻酔が激痛)、生検。念のため、取れたものが取りたい細胞なのかを確認して、ちゃんと取れてない場合は再度なので、しばらくそのまま。。。無事一度で取れたので、それなりに大きな穴を止血して、おしまい。
【12月22日(火)右胸も乳がん確定&術日決定】
夫ちゃんと二人で検査結果を聞きに。9時半アポだったけど、11時過ぎに話しを聞ける。一人一人丁寧に対応してくれているんだな、、と思うようにした。笑。
やはり、右もガンであったこと、左は転移は無い見込みであることを告げられる。そうなると、右胸の治療をどうするか、ということになり、相談。
事前に親友A夫妻にも相談していて、彼女の経験からも、私の性格的にも、不安を根治する、アンジェリナージョリー的な選択肢がいいよね、と、右も万が一ガンであったら、左右同時に全摘再建をしようとほぼ決意していたものの、他の選択肢も一応確認してみる。
右胸を温存して部分摘出して放射線治療を選択すると、放射線が再建したい左胸にあたって皮膚が硬くなってしまうため、再建に影響が出る可能性がある。温存する場合は、全摘と比較して、再発率は高くなる。温存しても、万が一、二人目を授かっても授乳はできない。左右同時に同じ治療をすれば、手術、入院なども一回づつで済むし、美容的にも左右を綺麗に整えられる。
などなど、その他細かいことや、私なりのメリデメを整理しても、やっぱり決意は変わらず、その場で両方全摘再建しますと伝えて、手術日を予約しました。
胴上げして、全員骨折。「精密検査に相談だ。」
肺がん患者の会 ワンステップ!がお送りする企画モノ。
ザ・インタビュー「万里一空」と題して、患者さんの体験を聞いていくコーナーです。
さまざまな肺がん患者さんが登場し、その貴重な経験をお伝えしていきますよ。
今回は「ステージ4で20年生きると言われた男」てるっちさん(40代)の登場です!
このインタビューに登場する方には、お名前の前にいつもキャッチフレーズをつけています。今回は悩みました。てるっちさんはさまざまな顔を持っていて、一つじゃくくれないんです。それならば、ということで、毎回キャッチフレーズを変えることにしました
一回目「ステージ4で20年生きると言われた男」
二回目「がんでクビ!解雇された男」
三回目「治療は迷わず治験一本の男」
四回目「個別化治療で大当たり!大逆転男」
こんな感じかな。面白そうでしょ。では、はじめます。どうぞ~。
<病歴>
2010年12月 治験① パクリタキセル カルボプラチン ABT861
2012年 TS-1
2013年 治験② PD-1抗体薬(たぶんオプチーボ)
2014年 胸膜播種
治験③ ABC1234(仮名)
2015年 ザーコリ
千葉県で奥様と女の子2人の子供と暮らすてるっちさん。
銀行員として精力的に働いていた40代半ばで、がんを患いました。
―――きっかけは?
2010年の12月かな。市で行う健康診断があったんです。近くの病院に行ったところ、肺に影があるということで大きな病院に行きました。そこで肺がんの疑いがあるということになり、告知を受けたという経緯です。
さらっと言われました。「がんです」と。これは告知?みたいな形でした。本当にさらっとしてました。女房も横で聞いていてびっくりしていましたし、泣いていたんですけども。あれが告知だったんだね、と。そのあと、国立がん研究センター(築地)にいって、またCTをとって精密検査をして、ステージ4ですねと、いわれたんです。
ああ、なっちゃったんだ。これからどうなっていくんだろう?肺がんなんだから、肺を取ってしまえばよくなるのではないか?とも考えました。先生からは、手術、放射線治療、抗がん剤がある。手術は、肺の深いところにできているから難しいだろう。その場で外科の先生にも連絡を取ってくださって、他に転移をしているから手術で取ったとしてもまた再発の恐れもあるって。であれば手術は、やめたほうがいい。飛行機に例えて、エンジンひとつなくなっても飛べるけれども、あとがなくなる。次の武器がなくなる。武器として20個あるところが10個しかなくなってしまう。それであれば手術はせずに抗がん剤治療やっていったほうがよいんじゃないでしょうか。というふうにいわれて、はいわかりましたと。
てるっちさんのタイプは「腺がん」
EGFRの遺伝子変異やALKはありませんでした。
でも、先生からは驚きの説明が!
がんセンターからは、このがん細胞の顔は、腺がんですよ。でもこのがんについては、おそらくすぐに亡くなるとかそういうことではなくて、当分は大丈夫です。治療しながらやっていけば大丈夫ですと。
そこで家内がどれくらい生きられるのですか?と聞いた時に、「今の医学であれば20年は大丈夫です」と言われました。
―――20年。なんですか20年って?そこは普通、1年とか言われるんですよ。
あ、そうなの?
―――そうそう。なぜ20年?
いや、わからないよ。先生がそう言ったんだから。
インタビュー中止!
20年っていったい何なんだ?気になって気になって進めないよ!ということで、てるっちさんには、次の外来でその理由を聞いてきてもらいました。
で、聞いたところによると・・・
「進行性ではない」という説明でした。
ちょっとこれ以上わからないので想像します。
たぶん、「分化」のことを先生は言っているのではないか、と考えます。「分化」知ってます?がんの細胞分裂の度合いのこと。「高分化・中分化・低分化」ってあるんです。
「低分化」は、細胞の分裂が少ない状態→つまり、これからどんどん分裂・増殖していく。例えると、赤ちゃんみたいな感じかな。どんどん育つ。進行が早い。
「高分化」は、すでに多く細胞分裂し、成熟した状態→つまり、分裂のスピード遅い。例えると、高齢者のような感じでしょうか。
まとめると、がん細胞にも、元気なものとそうでないものがあるってこと。てるっちさんのがんは、この「高分化」しているものだったのかもしれないと考えます。ちなみに私・さくえもんは「低分化」と診断書に書いてありました。てるっち、うらやましいぜ。
(※全部想像です)
それにしても、「肺がんのステージ4で20年生きられる」って言われる場合があることに驚きです。というか、そういう場合はちゃんと前もって言ってくれるんですね。
20年生きられる。先生から言われたのは、平均寿命は80歳。てるっちさんの場合は、80歳までは生きられないだろう。でも60歳までは生きられるのではないか。そのとき下の子供は小学校一年生。その子の成人式を迎えられる。それなのであればまだよかった。
そう考えると、すぐにということではなかったので少し安心したかな。
今回はここまで。
次回はキャッチフレーズが変わって
「がんでクビ!解雇された男」
です。
てるっちさんのド根性物語です。しびれますよ。すぐアップします。
★お知らせ!
ワンステップ!次回の「おしゃべり会」日時・場所決定です。
9月5日(土)午後3時から5時まで 2Hくらい
場所は日本肺癌学会の会議室です
東京都中央区日本橋3-8-16
JR東京駅から徒歩5分
浅草線 日本橋駅から徒歩5分
銀座線 日本橋駅から徒歩3分
今回、お部屋を貸していただけることになりました。ありがとうございます。
おしゃべり会は、普段は話せないことでも、自然と話すことができる、そんな場だと思っています。同じ肺がん患者です。不安や苦しみ、同じ体験をしています。
ぜひ参加してください。お会いしましょう。
肺がんの患者さん、家族、お知り合いなどなどでも参加可。
来てくださる方は一本メールくださいね。
飛び入りでもOKです。
肺がん患者の会 ワンステップ!
みなさんのためにある患者会です。
質問や相談、感想は下のコメント欄まで。メールでもどうぞ。
精密検査 80年代は8チャンネル
2018.09.05徳永英明 緊急搬送に関するご報告及び、コンサート延期のご案内
この度の報道、またオフィシャルサイトで発表したとおり、本日さらなる精密検査を行い
その結果「脱水症状による軽度の脳梗塞のため、1週間程度の入院および経過観察」との診断をうけ
現在引き続き入院しております。
今週末に予定されていた9月8日(土) 新潟テルサ、9月9日(日) 富山 ・ オーバードホールでのコンサートは
一旦延期とさせていただくことになりました。
当日を楽しみにされていたお客様、本当に申し訳ございません。
またいつも応援していただいてる皆様にもご心配をおかけし、重ね重ねお詫びいたします。
その後の公演に関しましては、経過観察後の状態をみて随時判断させていただきます。
何卒ご理解の程よろしくお願いいたします。
また、新潟、富山の延期公演の日程に関しましては
2018年10月頃に代替スケジュールの発表を予定しております。
新潟公演、富山公演のチケット払い戻し希望の方は
キョードー北陸チケットセンター (TEL : 025-245-5100) までご連絡ください。
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9時過ぎには元には戻ったけど
頭の微妙な痛みはずっとある。
精密検査が必要???
ねーほんといつ死んでもおかしくない…
衰えも感じるけど……へへ
子宮頸がん検診の結果、
精密検査いけだしさ、
冗談か知らんけど
死ぬなら早くしんでだしさ
母親それで死んでるから笑えねーし
なんか疲れた